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 建築史1880-89

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Old Physics 旧物理学部校舎

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科学

2015年10月12日(月)
Old Physics 旧物理学部校舎
Old Physics Conference Room and Gallery
メルボルン大学 Melbourne University
パークビル Parkville
メルボルン Melbourne
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メルボルン大学の中心部に建つネオゴシック様式の建物は自然科学学部の校舎であった。19世紀後半にサイエンス=自然科学という概念が作られ、実験で実証する学問のための新しい学部校舎であった。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/640 F6.3 ISO感度 200 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM 2014年1月14日9:15 板屋雅博撮影


 旧物理学部校舎は、建築当時はメルボルン大学自然科学学部( School of Natural Philosophy)として建設された。1889年当時のメルボルンで最も高名な建設事務所であるリード、ヘンダーソン、スマート事務所が設計した。1900年後半の新しい学問分野である自然科学学部教室が建設された。19世紀後半のオーストらリアで科学の重要性を研究し、教授する為の最も重要な建物のひとつとして考えられていた。この自然科学学部の新しい建物は1886年に計画された。1880年代に建設が予算化された。この建物が建設される以前には、自然科学学部の創設者ヘンリーアンダーソン教授は隣接するメルボルン大学最古の教室であるクアドラングル(Quadrangle:中庭付きの校舎)を教室として使っていた。


  旧物理学部校舎
Old Physics Conference Room and Gallery
メルボルン大学 Melbourne University
設計:Reed, Henderson, and Smart事務所
建築年:1889年
建築様式:ネオゴシック様式 neo-Gothic style
階数:2階建て
階段状大講義室、実験研究室、工作室、実験器具などが入居していた。




 同じ設計陣で実験教室も建設され、学生たちに自習と実験をさせる目的であった。現代では一般的だが、19世紀のオーストラリアの研究機関として教育改革としては画期的なシステムを実施する教室であった。建設は数段階に分けて行われ、ヘンリーアンダーソン教授の後任のトーマスライル教授が建設を監修した。最初は1889年に始まり教室に勾配を持つ大型の講義教室の建設から始まった。1891年に始まった第二ステージの建物はディーキンコート(Deakin Court)建設の為に解体された。1880年代のメルボルンの繁栄時代のあと、1891年に不況に突入し、更に大学のディクソン経理部長(L. F. Dickson)による大きな汚職事件が起こった為、建設は一時的に中止された。オーストラリア植民地における教育改革の一環として方法論研究の教育や自然科学の台頭が建物のデザインに影響を与えている。教育用の研究室が多く配置された。1880年代は大学教育を研究を主体とした方向へ劇的に方向転換した時代であった。



  下水システムも建物の配置に重要な要素であった。メルボルン大学の建設初期では建築サポートはあまりなかった。
水はクアドラングル校舎の屋根からと集めていた。汚物は汚水貯めプール入れていた。下水道が整備されておらず、1867年にメルボルン植民地政府は汚水貯めプールを禁止していた。その代り夜間に馬車で汚物を集める方式に置き換えた。その後、

その後、本格的な下水システムが完成するまでは、クアドラングル校舎の裏手に鉄製の汚物処理タンクを設置して利用した。


 サイエンス(Science:科学)という言葉は1800年代半ばに自然科学という意味で用いられるようになった。その頃まではNatural Philosophyの名前が使われていたが、それも未熟な段階であった。メルボルン大学のSchool of Natural Philosophyは、実験を主体にした研究を基礎においた論理実証主義を実践しており、まさに近代的なサイエンス学部であった。科学的方法に基づく学問としての科学を追求する学部であった。


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Wikipedia

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