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メルボルンタウンホール Melbourne Townhall

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2012年11月23日(土)
メルボルンタウンホール
Melbourne Townhall
スワンストン通り 
Swanston Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

メルボルンの中央部に位置するメルボルンタウンホールはメルボルン設立時に遡る重要な歴史拠点。コメディフェスティバルなど数々のイベントの会場として市民に親しまれている。



  建築年:1869年−1880年 
時計台 1874年
正面玄関1880年代
場所:スワンストン通りSwanston Streetとコリンズ通り Collins Streetの交差点
設計:ジョセフリード Joseph Reed (partner Frederick Barnes)
建築時代:ビクトリアン (Victorian)
建築様式:第二帝国様式 Second Empire style  
時計台(Neo Classical)
高さ:屋根まで45m 時計台まで50m
階層:6階建て
登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register

  メルボルンは、1842年8月12日に英国NSW植民地議会の承認により町(Town of Melbourne) として正式に成立した。1842年12月13日に設立のセレモニーを行っている。最初の首長は、Henry Condell。
1847年6月25日付けの英国ビクトリア女王の書簡により市(City)の承認を受けた。同時に英国アングリカン教会の市の承認も得た。1849年8月3日にNSW植民地議会の承認によりメルボルン市(City of Melbourne) が成立。当初のメルボルン市の管轄区域は、南東は、エルウッド(Elwood)、東はパント道路(Punt Road)、北東は、アボッツフォード(Abbotsford)、北はムーニーポンヅ(Moonee Ponds)、北西は、フレミントン(Flemington)、南西は、ポートメルボルン(Port Melbourne)と承認書に記されていた。1850年代には、コリンウッド(Collingwood)、フィッツロイ、リッチモンドの北部3市が独立。ほどなくサウスメルボルン、ポートメルボルン、セントキルダなど南部の市も分離独立した。

  スワンストン通りの正面玄関(portico)
1851年に市庁舎の建設が始まったが、同年にゴールドラッシュが始まり、若い男性の労働者は、ほとんど金鉱山へ行ってしまい、建設は一時中断した。
最初の小規模の市役所は、1854年にこの地に完成した。
メルボルン市の財政がゴールドラッシュにより潤沢になり、市庁舎の新築が決定され、1867年11月29日にメルボルンを訪問してた英国のアルフレッド王子(Prince Alfred) ビクトリア女王の次男によって礎石が置かれた。
現在の市庁舎は、最初の市庁舎の跡地に、1870年に完成し、8月9日に盛大なオープニングセレモニーを開催された。

  時計台は、アルフレッド王子を記念して命名された。当時の豪州第二の都市、シドニー市庁舎は、1880年代の後半に完成している。正面玄関は、1887年に当時の市長Sir Henry Weedonによって礎石が置かれて建設が始った。
スワンストン通り北側の拡張ビル(Administrative Annex)は、1900年に建築が始まってる。
1925年に火災により中央玄関やパイプオルガンなどタウンホールの大部分が焼失した。
直ぐに再建が始まり、北側に隣接していたビクトリアコーヒーパレス(現、ビクトリアホテル)の場所まで拡張され、より立派な建物が建てられた。1928年に完成。
残念なことに、ジョセフリード設計のいくつかの優雅な屋根などの部分は、再建されていない。

  メルボルンタウンホール(Town Hall)市庁舎市庁舎の設計は、メルボルンの天才設計家、ジョセフリード(Joseph Reed)。

ジョセフリードの作品

州立図書館 (1856年)
セントミッチェル教会(1866年)
タウンホール(1870年)
トレードホール(1873年)
ロイヤルエキジビションビル(1879年)
メルボルン大Ormondカレッジ(1879年)
セントポール大聖堂(1884年)
 A.C. Goode House (1892年)
メトロポリタンガス会社(1892年)

ジョセフリードが作った設計会社(Bates, Smart and McCutcheon)は、現在でもメルボルンで活躍している

  メルボルンのサバーブを歩くといたるところに、タウンホールがある。
下記は、現存しているタウンホールです。
しかし合併や市の名前を変更して現在でも昔の名前のままの市は、Melbourne市だけ。
カッコ内は、公式web。
Box Hill (Whitehorse市)
Brighton (Bayside市
Brunswick (Moreland市
Camberwell (Boroondara市
Coburg (Moreland市
Collingwood (Yarra市
Dandenong (Greater Dandenong市
Fitzroy (Yarra市
Hawthorn (Boroondara市)、
Footscray (Maribyrnong市
Caulfield (Glen Eira市)、
Heidelberg (Banyule市)、
Kensington (Moonee Valley市

  Kew (Boroondara市
Melbourne (Melbourne市
Essendon (Moonee Valley市
Moorabbin (Kingston市
Northcote (Darebin市
North Melbourne/Hotham(Melbourne市
Oakleigh (Monash市
Port Melbourne (Port Phillip市
Prahran (Stonnington市
Preston (Darebin市
Richmond (Yarra市
South Melbourne/Emerald Hill (Port Phillip市
St Kilda (Port Phillip市
Stonnington/Malvern (Stonnington市
Williamstown (Hobsons Bay市

 Administrative Annexビル
本館に建築スタイルを併せて建設された。
設計は、Grainger Kennedy & Little with JJ Clark。1910年にオープン。
市議会議事堂を含み、高級木材を多用し、ビクトリアの原生植物をデザインしたプラスター材の装飾などが施されている。

  プリンスアルフレッド時計台(Prince Alfred Clock Tower) 英国のアルフレッド王子(Prince Alfred)に由来するこの時計台は、1874年8月31日に建設が始まった
時計の直径は、2.44m。当時の市長の子息であったVallange Condellの寄贈。
英国のSmith and Sons of London社の製作。
銅製の時計の長針は、1.19mの長さで、重さは、8.85kg。

  第二帝国様式は、フランスのナポレオン三世(1852年−1870年)の第二帝政時代に流行したフランスの建築様式。豪華でエレガントなこの建築様式は、政府、公共建築物、劇場、ホテルなどに用いられ、1860−1890年に世界で最も裕福な都市であったメルボルンで流行した。
方形のドーム、鋳物製の装飾、天井や最上階に設置された飾り窓などの特徴を持っている。


Wikipedia
 Walking Melbourne  Walking Melbourne Forum

 Joseph Reed:豪州伝記集 Wikipedea Walking Melbourne


 コリンズ通り側から。(早朝の撮影)
時計台までの高さは、50m。
西側のビルは、マンチェスターユニティービルディングです。1932年の建築。建築スタイルはアールデコ(Art-Deco)スタイルです。高さは66m。1932年当時ではメルボルンで最も高いビルディングであった。建設当初は、メルボルンの建築物は、40.2mの高さ制限があった。その後、追加建築された中央部のタワーの部分は、25.3mです。建築制限は、人が入居しているフロアという条件があったため、タワーの部分には、部屋などはない。

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