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フリンダーススクエア

Young and Jackson's Princes Bridge Hotel

メルボルン百景トップ

2017年8月18日(金
ヤング&ジャクソンズ プリンセスブリッジホテル
Young and Jackson's Princes Bridge Hotel
スワンストン通りとフリンダース通り交差点
Swanston Street and Flinders Street
メルボルン Melbourne
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オーストラリアで最も有名なパブと云っても過言ではないホテルである。メルボルンの創設者であるジョンバットマンがこの地に家を構えたことでも知られる。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞り 8.0 1/500秒 ISO感度100 露出補正 -1/3 太陽光 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2017年1月16日9:24 



 ヤング&ジャクソン・プリンセス・ブリッジホテルは、2階建てと3階建の5つの建物を合併して作られている。1853年の最初の建物は3階建てのブルーストーン造りの建物で住居で、1階には肉屋が入居していた。1861年7月にホテルがオープンして、酒類販売ライセンスは、ジョン・トーヘイ(John T Toohey)が取得した。この建物は、スワンストン通り側に延長され、店舗が入居し、フリンダース通り西側にもふたつの建物がつながって、ブルーストン製の建物には店舗が入居した。全ての建物は、同様に表面化粧されて、お互いに似合ったようにペンキが塗られた。角地の最初の建物ははっきりと判った。1875年に ヘンリー F ヤング(Henry Figsby Young) とトーマス・ジャクソン(Thomas Jackson )がホテルを買収し、酒類免許を取得した。その際にホテルの名前を現在の名前に変更した。


建築家ジョン・フラナガン(John Flannigan)と建築請負業のヘンリー・ライト(Henry Wright が建物のリノベーションを請負った。当初の材木製の店舗ファサードを撤去して、新たに煉瓦製欄干と霧妻屋根を取り付けた。1908年にヘンリーヤングは、油絵のクロエ画を購入して、店内のサロンバーに展示した。クロエ画は、フランス人画家のJules Lefebvre.が描いた若い女性の裸体であった。この作品は、1880−1881にメルボルンロイヤルエキジビジョン・ビルディングで開催された万国博覧会に出展されると大きな話題となった。ホテルで展示されたが大きな注目を集めた。


ヤングは1914年にホテルをビール製造業者のステファン・モレル(Stephen J Morrell)に売却した。モレルの所有時代にフリンダース通り西側の隣の建物と店舗を買収して、吸収した。モレルはアボッツフォードにビール工場を設立し、その後、1926年にはメルボルン市長になった。ヤラ川にかかるモレル橋は、彼の栄誉をたたえている。
Stephen J Morrell
1921年にこれまで買収した建物を全部つなぎ合わせて、ひとつの建物に改修した。この一大工事をデザインした建築家はホテル建物専門家のRichard B Whittakerであった。1階下部に赤いタイル張りの腰羽目板や化粧用フリーズ(中間の水平帯)なが追加された。
屋上に目立つ広告塔があるが、これは1920年代に設置された。

 1888年にフォスター兄弟会社(Foster Brothers)が新しい革新的なラガービールを売り出す為に選ばれた最初のホテルのひとつであった。こおビールはその後、ボトル入りビール市場を独占した。
ヤング&ジャクソンホテルは、オーストラリアで最も有名なパブのひとつである。メルボルンの国際的なシンボルであり、多くの海外からの観光客が訪れる。第二次大戦時には出征前にひとめクロエの画像を見ようと多くの兵士が集まった。
ホテルは、フリンダース通りとスワンストン通りの交差点にあり、フリンダース通り駅の目の前にあることも見逃せない特徴である。.


VHD
 
wikipedia


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