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フリンダーススクエア

クロエズバー Chloe' Bar

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2007年6月22日(金)
クロエズバー Chloe' Bar
Young & Jackson
The Prince's Bridge Hotel
フリンダース通り(Flinders Street)とスワンストン通り(Swanston Street)の交差点
この場所の地図Google Map
メルボルン Melbourne

メルボルンにはバー、パブは1000軒をはるかに越える数があります。しかしYoung & Jacksonの2階にあるクロエズバーが歴史、風格、雰囲気などどれをとってもNo1のバーでしょう。No1であるにも関わらず、ビールなどの値段は他と変わらず、またさして混んでもいないのは、メルボルンです。

昨年の今日 2006年6月22日

メルボルンは、1835年にタスマニアの悪漢ジョンバットマンとジョンフォークナーが定住を開始したことから歴史は始まります。2年後の1837年に第一階目の土地の売り出しがあり、その際、メルボルンの超一等地であるこの場所は、ジョンバットマンが100ポンドで購入しました。1839年にこの場所に子供たちのための家を建てました。1953年に取り壊され、倉庫が建てられました。そして1861年7月1日に現在の建物が建てられプリンセス橋ホテルが開業しました。その後、アイルランド人の金鉱夫であり、ニュージーランドで金を掘り当てたことにより大金持ちになったHenry Young とThomas Jacksonによって買収され、名前をYoung & Jacksonに変えました。

クロエとは、トップ画像にあるヌードの女性の画の名前です。フランス人の画家Jules Lefebvreによって1875年に描かれ、パリサロン展覧会に出展されました。展示会のカタログには18世紀のフランスの詩人Andre Chenier (1762-1794)の詩が添えられました。He often visits your peaceful shores.Often I listen, and the air, which trembles in the woods,From afar brings his voice to my ears.この作品で金賞を受賞しています。名声を得て1879年にシドニー展覧会、1880年にメルボルン展覧会に参加しました。1883年にビクトリア州立美術館で展示されましたが、教会関係者よりヌードの絵画であり厳しい指弾を受けました。1908年にYoung & Jacksonが買い取っています。

  クロエのモデルになったのは、1875年当時19歳であったフランス娘のMarieです。ほとんど詳しいことは知られていませんが、この絵を描かれた2年後に恋の病により自殺しています。

1908年からこの場所にクロエの画は架けられています。当時はヌードの画像は、ここ以外では見ることは不可能な時代でした。その後ふたつの世界大戦があり多くの若者がメルボルンから出兵して行きました。クロエは、彼らのアイドルであったのです。

 クロエズバーから見たフリンダース駅の正面。このバーがメルボルンでNo1のバーであることは間違いありませんが、フリンダース駅が直ぐ目の前に見えることも、要因のひとつでしょう。
クロエとフリンダース駅を観ながらのビールは間違いなくメルボルンで一番です。

金曜日、土曜日の夜はライブもやっています。

Young & Jackson The Princes Bridge Hotel の概観

内部ツアー

Hotel Young & Jackson公式Web

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