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ポーリーウッドサイド

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2009年2月6日(金)
ポーリーウッドサイド Polly Woodside
国際会議場 Convention Centre
メルボルン Melbourne
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今日も気温は、30度と涼しいメルボルンです。午前中は曇りでしたが、午後からは晴れてきました。明日は、40度、明後日は20度と変化が激しい週末です。

昨年の今日 2008年2月6日(スワンホテル 

Canon EOS 40D シャッター速度 1/200 秒 絞り F9.0 太陽光 評価測光 ISO感度 100  画質圧縮率 RAW
レンズ:EF24-70mm f/2.8L USM

為替:A$=60.22円

 ポーリーウッドサイド
英国領北アイルランドのベルファストのクイーンズ島のWorkman, Clark and Co造船所で1885年に建造されました。
オーナーは、William J. Woodsideです。
オーナーの奥さんのMrs Marian (“Polly”) Woodsideの名前を船名としています。
3本マストの鋼鉄製帆船ですが、レジャーボートではなく貨物船です。主にアルゼンチンのブエノスアイレス、チリのバルパライソ、ウルグアイのモンテビデオなどの南米の主要港と英国の間を石炭、肥料、小麦などを輸送していました。1885年から1903年までの18年間に16回の航海を行っています。ポーリーウッドサイドの船員は、士官も含めて20人弱です。
ポーリーウッドサイドは、帆船が輸送船に使われた最後の世代に属します。

1800年代は、蒸気機関を動力とする蒸気船とそれに対抗する高性能の帆船が優劣を競った時代です。1807年にアメリカNYのハドソン湾でレシプロエンジンを搭載した外輪式蒸気船が試運転をしています。外輪船は、構造に問題があり、ほとんど普及していません。蒸気船が普及し始めたのは、1836年にプロペラが開発されてからです。一方で、帆船も高性能化し、1850年代からは、軽量でスピードも圧倒的に早い帆船が再度、主流となりました。特に中国から英国まで新茶の輸送を競うティークリッパー船は、それまで1年半もかかっていた中国ー英国間を4か月で走破しています。ティークリッパー船として最も有名な船は、1869年建造の英国のカティーサーク号です。

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しかし1890年代に入ると蒸気タービンが開発されます。
ピストンを通すレシプロエンジンと異なり、タービン(羽根車)を回す方式です。
これにより蒸気機関船のスピードが各段にアップします。また1869年にエジプトでスエズ運河が開通したことも大きな理由となります。スエズ運河は、ほぼ無風のため、帆船による航海が出来ないからです。
即ち1885年建造のポーリーウッドサイドが帆船としては最後の時代に属し、また最も高性能な帆船であることがわかります。この型の特徴は、全長が横幅の6倍にも達しており徹底したスピード重視であることがわかります。
左の画像とトップ画像を比べるとそのスマートな船型が判ります。

1904年にニュージーランドのオーナーに販売され、娘のMiss Rona Monroの名前を取ってRonaと改名されました。
主にNZと豪州間を材木、塩、セメント、穀物、石炭などを輸送していました。
1914年から1918年の第一次世界大戦の間は、船舶の不足のため、NZとサンフランシスコ間の輸送に従事しています。1920年と1921年に2回の衝突事故を起こしていますが、なんとか生き残っています。
1920年代に、世界中で帆船の輸送船は、時代に合わなくなって廃船となって行きました。ポーリーウッドサイドは、1922年に豪州の船会社に販売されました。その後、メルボルンへ移ってきて石炭積み込み用の台船として使用されていました。



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