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クリスマス特集

GPO前の救世軍

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2006年12月17日(日)へ 15時40分

クリスマス前の救世軍(Salvation Army)
GPO(Grand Post Office)前
エリザベス通り(Elizabeth Street)とバーク通り(Bourke Street)の交差点。
Melbourne
Melway 1B−L5

今日は、やっと肌寒いという単語から離れました。27度まであがりました。しかし乾燥しているので、たとえ陽光の下でも暑さは感じません。もちろん日焼け止めを塗るなど対策は欠かせません。
救世軍の楽隊は、帽子も被ってません。


GPO前救世軍GPO(Grand Post Office)前で
Myerのクリスマスショーウィンドウ『Wombat☆Divine』を待つ家族連れ。

1835年に移民が始まりますが、オーストラリアは、本国イギリスからは、帆船で4ヶ月もかかります。もちろん当時は、飛行機はありません。1851年のゴールドラッシュの後は、英国と豪州を往復する船の数は多かったのですが、それでも片道の手紙が本国へ着くのに4ヶ月かかります。またBass海峡は、風が強く難破船が多いので有名です。
次の月の船に返事を乗せるとしても往復で約10ヶ月もかかるのです。逆に言うとオーストラリアに移民した人々が郵便に寄せる思いはたいへんなものがあったのです。
もちろん郵便局GPOは、メルボルン市民にとってメルボルン市の中でも最も大切な建物だったのです。


救世軍の演奏の上で本を読む女性

ここから港へ向かった丘の上にFlagstaff Gardenがあります。フィリップ湾にヨーロッパからの船が入ってくると、Sandridgeの海岸から旗による連絡が入り、丘の上のFlagstaff(旗ざお)に信号旗が揚がります。これを見て市民は、船が入ったことを知ります。もちろんその船には、本国からの手紙が送られてくることを期待しているわけです。貧しい移民にとって、生きているうちに本国へ帰ることが出来た時代ではなかったのです。Flagstaff Gardenは、海から見える一番高い丘で、西(英国側)を向いています。メルボルンの最初の墓地はウィリアム通り(William Street)からキング通り(King Street)の間にありました。せめて本国を向いて永遠の眠りにつきたかったのでしょう。
GPOに寄せる移民の人々の気持ちが伝わります。

オーストラリアの最初の郵便局はSydneyのサーキュラキー(Circular Quay)に1809年に出来ました。
メルボルンの建設の3年後の1838年にはメルボルン−シドニー間の郵便制度が始まりました。1852年には、豪州−英国を結ぶ郵便専用船『Chusan』が就航しました。

メルボルンのGPOは、1859年に現在の地に完成しました。シドニーのGPOは、それより7年遅く1866年に建設を開始しました。1951年にゴールドラッシュが始まり、当時のメルボルンには潤沢な資金があったのです。

メルボルンGPO公式Web

シドニーGPO公式Web

豪州郵便の歴史

1914年メルボルン−シドニー間の始めての国内航空郵便を達成。これは世界で最長の航空郵便記録となる。
1919年始めての豪州−英国間の航空郵便を実施。
1934年(昭和9年)定期便による豪州−英国の航空郵便を開始。

即ち1934年までは船便でしか手紙は届かなかったのです。(電信はありました。)
船の速力はあがりましたが、やはり1ヶ月はかかったのです。豪州と英国やヨーロッパの国々が如何に遠い国であったかわかります。

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