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A. E. Johnson

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GPO General Post Office 中央郵便局

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2016年6月26日(日)
メルボルン中央郵便局
GPO General Post Office
エリザベス通りとバーク通り
Elizabesth St. & Bourke St.
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

メルボルンの中心地に建つ重厚なGPOはメルボルンの歴史の中でも重要な位置を占めている。現在は郵便局ではなくショッピングセンターとして活躍している。


撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/160 F10.0 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2016年1月16日15:20 板屋雅博撮影

祖国英国から遠く離れた植民地では郵便局は最も重要な公的機関であった。メルボルン最初の郵便局はコリンズ通りにあったが、天然の木の皮を貼り泥煉瓦の煙突を持ったすぼらしい小屋であった。最初の郵便局長E.J. フォレスター(E.J. Forster)はシドニーから1837年に着任している。世界の果てに作られた植民地にとって郵便は本国と連絡を取り、欧州の最新ニュースを知る唯一の手段であった。通信方法は片道に数か月かかる帆船のみであったが、植民者たちは熱烈に郵便物の到着を待った。1850年代のゴールドラッシュにより移住者が急増し、郵便物もまた大幅に増加した。1854年に電信が導入され通信は格段に便利になった。
1838年にはフリンダース通りへ、1839年にはリトルコリンズ通りへと移動した。



  現在の場所にGPOが移転したのは1841年である。この建物は8部屋ある郵便局長の住居とロビー、事務所数部屋でで構成され、バーク通りに面していた。エリザベス通りに沿って南のヤラ川へ向かって流れる小川があり、大雨の際には水が溢れてきていた。湿気があり害虫などにも悩まされていた。急増する人口のため業務量が増大し、小さな郵便局ではまったく対応が不可能となった。1859年に新郵便局の建設の為に建物は取り壊された。
1857年に政府委員会が大規模な新郵便局の建設を推薦した。外装と内装のふたつのデザインコンペが実施された。外装コンペは Crouch & Wilsonが、内装コンペはEdward Rumseyが一等であった。

 1859年に新郵便局の設計デザインコンペが行われ、設計家AEジョンソンの作品は二等賞であったが、実績を買われて、植民地政府公共建築局が決定した。1867年までに1階と2階部分が完成した。1887年までに三階部分と時計塔が完成した。
1919年に建築家Walter Burley Griffinが郵便物仕分けホールを公共ホールに改造したが、その後更に公共建築局の建築家John Smith Murdochによって改造された。ネオルネッサンス様式のビルディングは大きな評判となりメルボルンのサンドマークとなった。数々の改造が加えられたが、オリジナルに戻されている。2001年9月に火災で大きな損傷が発生したが、建設当時の状態に修復された。



建築年:1859年−1907年   
場所:バーク通りとエリザベス通りの交差点
地図: Google Map
設計: Arthur Ebden Johnson
建築時代:ビクトリアン (Victorian)
建築様式:第二帝国様式  Second Empire
登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register
VHR Number H0903
File Number 600695


 
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