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プリンセスブリッジ Princes Bridge

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2010年2月20日(土)
プリンセスブリッジの歴史
History of Princes Bridge
ヤラ川 Yarra River
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google地図

今日のメルボルンは、晴れ。午後からは雲がかなり出てきた。気温は33度とかなりの暑さとなった。明日も暑さがつつくが明日お夜にはクールチェンジの模様。

撮影データ
Canon EOS 40D 絞り優先AE 評価測光 絞りF13.0 1/125秒 ISO感度 100 太陽光  画質圧縮率 RWA
レンズ EF24-70mm f/2.8L USM

 メルボルンは、1835年に現在のクイーンズ橋のたもとを最初の拠点として殖民が開始された。ヤラ川の北部の現在のシティ側た発展した。同時にヤラ川の南側の地区もほぼ同時に開発が進んだ。当然、ヤラ川を渡る要望は非常に強くありました。最初のプリンセス橋は、木製で1844年に完成。ヤラ川の両岸に構脚を設けてそこに橋をかける木造のトレスル構造(trestle)。橋は、Robert Balbirneという個人に貸し出され、彼は往来する人々が料金を徴収していた。それまでは渡し舟で人や物資は往来していた。第二の橋は、1846年3月20日にビクトリア植民地総督チャールズラトローブによって礎石が置かれた。David Lennox の設計で1851年に完成。この時、ラトローブ総督は、橋の名前をプリンセス橋と名づけた。当時のエドワード英国皇太子(Edward, Prince of Wales)に由来。エドワード皇太子は、ビクトリア女王の長男で、ビクトリア女王が1901年に亡くなった後の英国王。

 橋げたは、ロンドン橋とほぼ同じ様式で、シングルスパン構造、材質は、砂岩であった。砂岩のシングルスパン構造の橋としては、当時の世界最長の橋。ロンドン橋よりも60cm短いだけの当時とすれば最先端の技術。この橋は、メルボルンの急速に増大する交通量にも35年の間、耐えてきたが、老朽化により1884年に解体された。

第二のプリンセス橋 ヤラ川は、当時よりかなり川幅は、広がっている。
豪州図書館画像

現在のプリンセス橋は、三番目の橋。
ケーブルトラムやフリンダース駅、プリンセス橋駅を通過する列車の路線の拡大、列車車両数の増大などプリンセス橋に限らず、フリンダース駅や、ヤラ川一帯の再開発が必要になった。メルボルンの建築家John Grainger (1855-1917)によって設計されDavid Munroによって建築された。

  プリンセス橋は、1886年に建設を開始して、1888年10月4日に完成。橋にかかっている鋳鉄(鋳物)製のランプは1920年代に付け加えられた。礎石は、1886年9月7日に置かれた。橋の費用の1/3をメルボルン市当局が出している。残りをサウスメルボルン、セントキルダ、マルバーン、ブライトン、コーフィールド、ムーラビンの各市が供出。
建設は、David Munro & Co。
David Munroは、クイーン橋、サンドリッジ橋などメルボルンの有名な橋の建築家。まずヤラ川の川幅を2倍に広げる工事から始めた。これは洪水など治水目的。

 1800年代における豪州最大の橋の建築事業であると同時に、豪州最大のシビルエンジニアリング。使用鋳鉄:2000トン、鍛鉄1000トンという鉄の資料量からも判るように、巨額の費用と労力を要した未曾有の工事。全ての鉄を英国などから輸入。多量の金塊がメルボルンにあったからこそ出来たとてつもない贅沢な輸入品。橋げたには、ビクトリア産のブルーストーン、橋げたの上の門柱には大理石、アーチ部分、横げた(beam)、欄干にまで高価な鋳物が使われている。

 建築年:1888年10月4日
場所: スワンストン通り Swanston Street−セントキルダ通り St Kilda Street
設計:John Grainger (1855-1917)   
建設:David Munro
建築時代:ビクトリアン 
全長:120m、幅30m
橋げた:3本 橋げた間の距離:30m
登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register


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