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プリンセスブリッジ Princes Bridge

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2018年4月14日(土)
プリンセスブリッジ
Princes Bridge 
ヤラ川 Yarra River
メルボルン Melbourne
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プリンセス橋は、メルボルンで最も重要な橋であり、交通の要所を占めている。最初の橋は、1840年に民間の資金で建設された。現在の橋は、4代目であり、1888年に完成した。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/400 Av6.3 ISO感度 100 オート 露出補正-1/3 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2018年1月18日15:26 板屋雅博撮影

wikipedia

 プリンセスブリッジ橋(Princes Bridge)は、当初は、プリンスの橋(Prince's Bridge)と呼ばれていた。豪州最古の橋のひとつである。ノースバンクのスワンストン通りとサウスバンクのセントキルダ通りを結ぶ橋であり、重要な道路であり、トラムや人通りを支えている。現在の橋は、1888年に建設された。

1835年の移民開始の頃には、ヤラ川を渡る方法は無かった。川を渡る為に、渡し船やフェリーボートがたくさん出現した。シドニーあったNSW植民地政府は、橋を建設する必要性を感じてなく、メルボルンの初期のインフラ投資は民間に頼っていた。

1840年4月22日、ヤラ川を渡る橋を建設する企業が設立された。エリザベス通りとスワンストン通りの商人たちはヤラ川橋によって作り出されるビジネスに注目していた。ヤラ川の南側のセントキルダ通りは、舗装されていない荒れた道路であった。


 ラトローブ初代総督は、エリザベス通りを渡る橋を要望した。当局側のプレッシャーはあったが、私企業側は、メルボルンの新しい中央通りに育ちつつあったスワンストン通りを選んだ。木製の有料橋は1840年にオープンした。1844年には三角トラス構造の新しい有料橋が完成した。
更に新しい橋の建設が1846年に始まり礎石が置かれ、1851年11月15日にオープンした。
46mのシングルスパン(梁間がひとつだけ)でブルーストーンと大理石製のアーチ橋で、川水面からの距離がわずか7mであり、当時、世界でも最も長く平坦な石材製の橋のひとつであった。政府の財政支出によりデビット・レノックス(David Lennox)の設計であった。通行料は無料であり、レノックスの橋と呼ばれた。


 橋が完成した翌年にゴールドラッシュが始まり、移民により人口が急増し、橋を渡る通行量も急増した。ヤラ川を行きかう船の量も増えたためにヤラ川川幅の拡張が必要になった。ヤラ川の上流側も下流側も改造工事が進められ、洪水は少なくなっていた。新しい橋は、ジョン・ガーナー(John Grainger)の設計で、建築はデビッド・ムンロー(David Munro)で鋼鉄を多用している。鉄鋼はメルボルンの鋳造会社であるランガード社が組み立てた。鉄の製造は不明。ガーナーの息子は、豪州の作曲家のパーシーガーナー(Percy Grainger)である。橋の建設は、1886年に始まりメルボルン万博開催に合わせて1888年10月4日にオープンした。現在のフェデレーションスクエアの場所には、プリンセス橋駅があった。地下線路によってフリンダース駅つながっていた。


 メルボルンの多くの歴史的な建設物と同様に橋は、固いブルーストーンとたくさんの鋳物を使っている。ウェールズ公、プリンスエドワード(後の英国王エドワード7世王、King Edward VII)に由来してプリンセス橋(Prince's Bridge)と名付けられた。最初の頃は、ケーブルトラムが橋の上を走っていたが、その後は電化式トラムが頻繁に走るようになり、1924年にプリンセス橋は、強度を強化する補強を行った。その頃、橋の名前はPrinces Bridgeとされた。英語のアポストロフィーが取り去られた。
プリンセス橋の礎石の文言
礎石は、1886年9月7日に、メルボルン市長James Cooper Stewartの奥さんである Mrs Amelia Henderson Stewart によって置かれる。
ビクトリア公共建設局長:Hon. John Nimmo
建設:David Munro
橋上の道路は、自動車用2レーン、トラム1レーン、自転車用1レーンであったが、2013年に自転車用レーンが拡げられて、自動車用は1レーンとされた。

 プリンセス橋は、横幅30m、長さは120mであり、3つの鉄製桁スパンがヤラ川にかかり、フルーストーン製橋げたの上に設置されたハーコート(Harcourt )製大理石半円柱状で橋全体を支えている。プリンセス橋に刻印された紋章は、建設費を負担メルボルン市当局のものである。
橋の欄干は非常に手の込んだもので、3つの橋げたの上にある鋳物製のランプも特徴的である。
1869年に完成したロンドンのテームズ川にかかるブラックフレア橋(Blackfriars Bridge)に似せたデザインとなっている。
両方の橋ともに19世紀のアーチ橋の傑作と云われている。

 1850年建設のプリンセス橋

クレモーン公園へ戻る外輪船(paddlesteame)ゴンドラ、1855年のスケッチ



 ジョセフ・ブラディ( Joseph Brady)作
1851年のプリンセス橋


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