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ボリウッド in メルボルン

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2008年3月20日(木)
ボリウッド in メルボルン
クイーンズブリッジスクエア
Queensbridge Square
メルボルン Melbourne
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F1の際の先週末の暑さは、いったいなんだったろうと思わせるほど気温が下がりました。インドの撮影隊は、元気ですが、一般のメルボルンの人には少し寒い気候となりました。明日から週末は、イースターの休暇です。金曜日から月曜日までです。

昨年の今日2007年3月20日(FINA 世界水泳 メルボルン大会

 正面は、フリンダース駅のバナナアレイ。

振付師のふたり。インド映画で最も重要なのは振付師です。
ボリウッドは、インド、ボンベイ市(現ムンバイ市)の映画産業の別名です。インド全体の映画産業としても使われます。

インドは、10億人を超える人口と10以上の言語を持つ多民族国家です。16世紀に、強大なムガール帝国がビルマ、中国、アラビア王国と接するインド全国を統一しました。しかし18世紀にはその力も衰え、綿貿易をきっかけに英国東インド会社が徐々に勢力を延ばします。メルボルンで最初のフリンダース駅が出来る頃である、1857年には、第一次インド独立戦争が勃発。英国は、反乱軍の徹底的なせん滅を図り、完全にムガール帝国を滅ぼします。そしてインドを英国の直接統治に置き、1877年には、英国ビクトリア女王がインド皇帝となり、イギリス領インド帝国となります。

 当時、メルボルンは、英国領ビクトリア植民地の首都として豪州でNo1の都でした。そして英国領インドの中心地ボンベイとは密接な関係がありました。当時の英国植民地は、豪州、インド、南ア、カナダ、アメリカ(独立)、アフリカ、中国(香港)など世界中に広がっていましたが、ロンドンで集中的に管理していました。建築物の設計は、ロンドンで集中的に行っていました。そこで発生したのが、設計図のご配達事件です。インドボンベイ駅とメルボルン駅の基本設計図が間違って送られたのです。電話、電信もなく往復の書簡に半年から1年がかかるという時代です。

 正面は、クイーンズ橋。(Queen Bridge)

フリンダース駅の一番ホームは、現在でも世界で4番目に長いプラットフォームです。当時、人口が30万人のメルボルンに不必要な建築物だったのです。その動かぬ証拠が、2枚目の画像のバナナアレイと言われています。バナナアレイは、メルボルンには不必要な部分ですが、現在は、スポーツジムなどに使われている部分は、ボンベイでは売店の店舗用地として必要な場所だったのです。
1800年代の後半には、英国領インドから多くの移民がインドから入ってきました。しかし1901年の白豪法(White Australian Policy)が実施されてからは、激減しました。



 正面は、移民博物館(旧メルボルン税関)

1947年にインドは、英国より独立しました。現在でもインドと英国は、政治、経済、スポーツで密接な関係があります。豪州とはクリケットなど伝統スポーツでの関係が強く存在します。
近年、インド経済の強大化と共に、インド移民も大幅に増えています。
豪州社会にも金融、経済を中心にしてインド人は広く活躍しています。

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