2007年9月5日(水)
メルボルン中央裁判所(旧) Melbourne Magistrates Court RMIT大学
ラトローブ通り(La Trobe Street)とラッセル通り(Russell Street)の交差点北西角
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連日、素晴らしい好天が続きます。気温は、まだ高くはありませんが、春の風を感じます。陽光は、真夏のようです。最高気温は18度と少し暖かい一日でした。
昨年の今日2006年9月5日(中華街サパーイン)
中空に掛かっているのは、メルボルン独特の風習であるフックターンのサインです。トラム優先なので、直接の右折が出来ません。
メルボルンは、1835年に定住が始りました。タスマニア(当時、バンディーメンズランド)からジョンPフォークナーを首領としたポートフィリップ事業団(Port Phillip Association)という怪しげな投資団体や、ジョンバットマンという悪漢が最初の定住者です。定住開始後、直ぐにいろんな揉め事、警察沙汰が発生しました。定住開始後、2年目の1836年には、最初の裁判所が出来ました。
メルボルン中央裁判所(旧)は、RMIT大学の一部になっており、大学の講義などが行われています。
ラトローブ通りに向かって
最初の長官(Police Magistrates)には、ウィリアムロンズデール大佐(William
Lonsdale )が任命されました。最初の裁判は、現在のサザンクロス駅の場所にあった建物で行われました。メルボルンの急速な発展と共に裁判所もビクトリア州全域に作られました。1890年には、235箇所が作られています。当時の面白い風習は、裁判所は、恵まれない婦人、子供の為に、被告に対して寄付金を命じたことです。ごく最近まで行われていましたが、現在は救世軍(Salvation
Army)が引き継いでいます。
メルボルン市中央裁判所
設計:GBH Austin ビクトリア州公共土木課主任設計士 建築年:1911年
建築会社:Swanston Brothers
建築期:エドワーディアン(Edwardian)
建築スタイル:ロマネスク
外装材:モーラボール(Moorabool)産サンドストーン
正面のファサードが特に念入りに作ってあります。小塔を持ち、切り妻屋根、玄関のアーチなど素晴らしい設計です。
玄関ホールは、8角形をしています。
建築当時は、内部に広大な3つの裁判ホールを持っていました。
隣のメルボルン監獄(Gaol)と合わせて、メルボルンの市民に司法の存在を知らしめる役割でした。
ウィリアムロンズデール大佐ですが、1831年に軍人及び植民地行政官としてシドニーに赴任しました。1835年からのメルボルン(当時は、ポートフィリップ)の違法移民を取り締まる為に、当時のNWS総督のリチャードバーク(バーク通りに名を残す)によってメルボルンの行政官及び裁判所長官に任命されました。ロンズデール大佐は、家族を伴って英国海軍の軍艦Rattlesnake号に乗り、1836年10月1日にヤラ川を遡ってメルボルン(当時は仮称バットマンズランド)に上陸し、当時は不法移民であったジョンバットマンと会見しています。ロンズデール大佐の最初の仕事が裁判所の設置だったのです。
ロンズデール大佐は、1854年に55歳で帰国するまで、メルボルンの司法、行政に貢献しています。ロンズデール通りは、ウィリアムロンズデール大佐を記念して名前を残しています。
現在のMelbourne Magistrates Courtは、ウィリアム通りに移動しています。メルボルン最高裁判所参照
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