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2021年7月31日(土)  responsive版
スペンサー通り駅 
Spencer Street Station
メルボルン Melbourne
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スペンサー通り駅の敷地は、始発駅用地として1852年6月に確保された。ラトローブ総督は、バットマンヒルを含む50エーカーの土地をメルボルンからエチューカへの鉄道路線開通を意図したマウントアレクサンダーマレー川鉄道会社に貸与した。ビクトリア政府は、この事業を引き継いだ際、ビクトリア鉄道局本社をスペンサー通り駅の隣に置いた。スペンサー通り駅の最初の駅舎は、木材と鉄鋼を構造として1858年に建設された。

撮影データ Canon EOS 5D MarkⅡ 絞り優先AE 評価測光 1/200 F6.3 ISO感度 100 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月16日15:31 板屋雅博撮影


 プラットフォームはひとつで164.5mの長さがあった。バットマンヒル丘陵は駅を拡張し、駅倉庫を作るために、1863年~65年に取り払われた。1670年代後半に新しい乗客用プラットフォームが作られ、プラットフォームに沿って貨物車用倉庫とエンジンメンテナンス工場が建築された。スペンサー通り駅とフリンダース駅は、1891年に高架橋で結ばれた。
スペンサー通り駅は、メルボルンの2大駅のひとつの始発駅フリンダース駅オープンの5年後の1859年にオープンした。スペンサー通りに沿って建設された。プラットフォームは、ひとつで行き止まりになった始発駅である。複数のプラットフォームが建設されたのは、1874年である。地上を走る単線で2大主要駅が結ばれたのは、1879年である。運営されたのは、夜のみでかつ貨物列車のみであった。1880年代には、スペンサー通り駅は、メルボルンCBDの拡張の為に撤去される提案がなされたが、取りやめられた。


 1894年に最初の乗客用列車が走った。1924年に駅舎は拡張され、11番から14番プラットフォームが郊外用路線用として追加された。1962年に標準軌道の線路(standard gauge line)がシドニーまで到達した際に、スペンサー通り駅は州間鉄道の始発駅として大掛かりに改修された。2000年代にスペンサー通り駅は、行政・民間の共同事業としてサザンクロス駅(Southern Cross Station)と改名されて、再開発され、ショッピングセンター、事務所、ホテル、アパートなどを含んだ。出現するドックランズを含みメルボルンの西部地区の開発となった。

 1880年代にはいくつもの改造案が出されたが消えていった。最初の了承された案は、1883年にAlbert Charles Cookが作成し、空想的(fanciful)なパラディアンパラッゾ(Palladian palazzo)様式であった。中央部が2階建てと3階建てのデザインであった。1888年から1894年にプラットフォームの配置レイアウトは変更された。郊外路線のプラットフォームがスペンサー通りに対して角度をつけて、新しく追加された。現在、長距離バスターミナルがある場所が近郊都市への路線が建設された場所である。




 1891年に3階建ての事務所複合施設や大型の時計台、新しい駅舎の計画案が作られたが、シドニー中央駅に似たデザインであったが、1890年代の不況期に取りやめになった。1888年にスペンサー通り駅とフリンダース駅の複線(double track)高架鉄道線(Viaduct )の建設が始まった。最初の通過式プラットフォームが作られたのもその際で、エッセンドン、ウィリアムズタウン線などの近郊路線用に使用された。


 フリンダース駅との高架線は、1915年に複々線(four tracks )に拡張され、電気式列車への電化作業も同時に進行した。現在のプラットフォームが11番から14番は、1918年から1924年に建設されt。またそのプラットフォームへ乗客が向かう歩道も整備された。1938年には、エントランス部分の改善と駐車場の建設が発表された。建築家StephensonとMeldrumのデザインで2000ポンドのデザイン費用であった。しかしながら建築は実行されなかった。

 1960年10月、新しいスペンサー通り駅の建築作業が始まった。シドニーと結ぶ州間連絡線用標準ゲージの建設のためであった。
1880年代に作られた鉄製の駅舎を建て替え、新しく413mのプラットフォーム1番を建設した。1918年に州内遠距離列車用プラットフォームへの旅客用地下通路が建設された。メルボルン市内地下ループ線の建設へ接続する為に、プラットフォーム9番と10番が近郊路線用に再建築された。従来路線に沿って新しい複線の高架線がフリンダース駅路線に建設された。合計で6線路となった。同時に従来の古い4路線は双方向(bi-directiona)用途に信号を変更(resignalled)された。



 1962年に郵便物を運ぶ為に、スペンサー通り駅と通りの反対側に立地するメルボルン中央郵便局メールエクスチェンジビルとの間に独立した地下通路が建設された。

1887年に機械式インターロック信号ボックス(mechanically interlocked signal box )が1887年にオープンして2008年6月に廃止された。最初に建設された際には、120レバーであったが、廃止された時には191レバーがあり、世界最大であった。

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