プリンセス橋、セール(Sale)のラトローブ川(La Trobe River)にかかるスウィング式架橋、メルボルン・タウンホールの事務所棟、エリザベスハウス(Elizabeth
House )、コリンズハウス(Collins House)、イーストメルボルンのクリベデンマンション(Cliveden Mansions)の改築(conversion)などにも活かされている。メルボルンの19世紀に於ける倉庫ウェアハウスの最も貴重な事例であり建築学的にも重要なものである。何年もの間、ロバ―・ティーハウスビルはCBD以外で最も高いビルであった。その高さと単独で建っている姿から今日でもサウスメルボルンのランドマークであった。
ロバ―・ティーハウスビルは1890年代の不況期からエドワード期に至る40年に渡って活躍したメルボルンの著名建築家であるナーハム・バーネットの代表作のひとつである。Auditorium
Building、 Paton Building、コリンズ通りとエリザベス通りの交差点にあるDavison Building 、イーストメルボルンのVilla
Chandos、セントキルダのFlorida Mansions、Toorak Road Synagogueなど。
この建物は、当初は文具商(stationer)のFergus and Mitchell社の倉庫兼工場として建てられ、現在、メルボルン都心部で工場が残っている例は少ない。後に紅茶やコーヒーの倉庫として使われた。この辺りは一時期は港の波止場であり、大きな船が着岸して荷揚げした貨物を取り扱う倉庫街であった。
ロバ―・ティーハウスは、19世紀の高層ビルであり、電気が普及していない時代に高層化を可能にした水圧式エレベーター(hydraulic lifts)の痕跡が残っている。メルボルン水圧動力会社(Melbourne
Hydraulic Power Company)の本管があった。
この場所は、1842年に操業したメルボルン最初の鋳物業者の後継会社ラングランド&フルトン鋳物会社(Langlands and Fulton foundry
companies)との重要な関連がある。
1889年、メルボルンは、公的水圧式動力供給(public hydraulic power utility.)を持つ世界で4番目の都市になった。高圧水の本管がメルボルン都心部CBDと近隣のサウスメルボルンとノースメルボルンの地下を配管が設置されており、便利で効率的な集中型の動力が一般供給されていた。水圧動力は商品や人員輸送エレベーター、羊毛プレス機器、クレーンなどに利用されていた。
エレベーターは、一般的な4−5階建てよりも更に高いビルの建築を可能にした。ビクトリアドック(Victoria Dock)の近くに中央ポンプステーション(
centralised pumping station)があり、エレベーターに高圧水を供給した。高圧水は、メルボルンCBDの地下に設置された合計11kmに及ぶ水路ネットワークを通じてシティのビルに供給された。