メルボルンシティ案内

カフェ案内

スプリング通り

<ビクトリア州議会議事堂 The European>

メルボルン百景トップ

2006年9月13日(水)へ戻る
18時45分
ビクトリア州議会議事堂
Parliament House, Melbourne
スプリング通り Spring Street
The European, Wine and Bar
Melway 1B-V5

今日も穏やかな春の一日でした。まだ寒い日もありますが、段々と暖かくなってきました。
今日はお馴染みのガスバーナーも消えています。
ヨーロピアンは、老舗のカフェ&バーです。中の雰囲気も良いのですが、メルボルン市内で一番の高台に立つパーラメントビルの直ぐ側で眺めも最高です。

The European, Wine and Bar
161 Spring St Melbourne 3000 VIC
Phone: (03) 9654 0811
yourrestaurantcom


正式名称をParliament House, Melbourneと言います。1851年、当時の植民地監督官(Colonial Suveyor)であったロバート・ホドル(Robert Hoddle)は、総督チャールズ ラトローブ(Charles La Trobe)の命により新しい州議事堂の場所をバーク通り(Bourke Street)の東の高台に設定しました。当時は、2階建ての低い建物が建っているだけの状態であり、メルボルン市内全体が見渡せました。1851年(嘉永4年)は、ペリーの浦賀来航の2年前、まだ明治維新の激動の前の頃です。ホドルの名前は、ホドル通りに、ラトローブの名前は、La Trobe大学とラトローブ通りにその名を残しています。尚、ホドルは、メルボルンの中心部の道路割り(Hoddle Grid)を作ったことでも有名です。

議事堂の設計は、公募により実施されましたが、結局は政府の設計官であったチャールズパスレイ(Charles Pasley)が設計しました。英国の建築を参考にして設計されました。その後、ピーターカー(Peter kerr)により手直しが実施されています。老舗の落ち着きが感じられます。
午前中からカフェとして開いていて、朝食を取る人で一杯です。
1855年に建設がこのスプリング通りの地で始まりました。1856年から順次、段階的に作られていき、最終的には1929年に完成しました。ビクトリア州法制審議室(Victorian Legislative Assembly)、ビクトリア州法制評議会室(Vicotian Legislative Council)が、1856年に最初に完成しました。1860年には図書館、1879年には大ホール(Great Hall 現在のQueen Hall)、玄関ホール(vestibute)が完成しました。

1880年代には、ゴールドラッシュにより建築も本格化しました。現在のスプリング通りに面した正面のファサードは1893年に完成しました。日本でも帝国議会が開かれたのが1890年、有名な鹿鳴館が出来たのが1883年(明治16年)です。
当初の計画ではドームを作る予定でしたが、1891年から不況になり巨額の費用がかかるドームは結局、完成しませんでした。
1901年から1928年の間は、豪州国の議事堂となりました。その間は、ビクトリア州議事堂はカールトン(Carlton)のロイヤルエキジビジョンビルディング(Royal Exhibition Building)を使用しました。その後は、ビクトリア州議会議事堂として現在に到っています。

Parlament of Victoriaより参照。

ビクトリア州議事堂見物も良いですが、ワインを飲みつつ歴史を語るのもメルボルンの良さです。
メルボルンは、それほど古い歴史は持っていません。1835年(天保6年)からのスタートです。日本では天保の大飢饉や、大塩平八郎の乱の頃です。しかし最初から英国式の議会制度をほとんどそのまま持ち込んだのです。日本と同様の古い歴史やしがらみを持つ英国よりも新天地メルボルンの方が民主主義は発展しやすかったのだと思います。最初は、厳しい時代であったのでしょうが、直ぐにやってくるゴールドラッシュによりメルボルンに余力が出来ました。これらの事が、今日のメルボルンの基礎になっているのは間違いありません。
ワインに酔いながらも、少しはパーラメントビルを見ながら、メルボルン成立当時の事を思い浮かべてみたいものです。

inserted by FC2 system