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旧財務省ビルトップ

金鉱堀

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2007年10月14日(日)
旧財務省ビル Old Treasury Building
スプリング通り(Spring Street)とコリンズ通り(Collins Street)の交差点
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map (航空写真)

1951年7月にNSW植民地から独立して人口29,000人のメルボルンを中心としてビクトリア殖民地が成立しました。そのわずか数週間後にゴールドラッシュが始まりました。カイネトン(参照)
ビクトリア州の各地から大量の金塊がメルボルンに集まり始めました。銀行強盗などの治安の悪化を恐れた植民地政府は、豪州最高レベルの保管場所の建設を迫られました。1858年に建設が始まりました。旧財務省参照

昨年の今日2006年10月14日(セントキルダ Vineyard)


Treasury Building
金鉱夫(ディッガーDigger)は、金塊(ナゲットNugget)や砂金を掘りだすと、金仲買商人から小切手、紙幣、金貨に変えました。仲買人は、金鉱山にテントや粗末な小屋に住んでいました。その交換レートはメルボルンの銀行レートからは非常に低いレートでした。しかし金鉱夫は、メルボルンまで少量の金を持っていくこともできず、例え持って行っても盗まれる危険性がありました。
仲買人は、金塊が溜まると近くの町やメルボルンで交換しました。金塊を発見する金鉱夫は稀であり、食うやくわずの状態が普通でした。
金鉱夫と商人(公式Web) 仲買人
金交換票  

博物館公式Web

地方の金鉱山からメルボルンやジーロンへ金塊を安全に運ぶのは大きな問題となりました。強盗団(ブッシュレンジャーBushranger)が横行したのです。金塊輸送の安全確保は、植民地政府の課題となり、メルボルン駐在の英国第40師団がこの任務にあたりました。金塊を運んだ帰りには役人の賃金用の紙幣や金貨を運びました。毎月の決まった日程で輸送団が組まれたので、ブッシュレンジャーによる襲撃が頻発しました。メルボルン、ジーロンからの主な道路は、金塊輸送団や金鉱山への物資の輸送のために作られました。ビクトリア州の多くの都市は、金塊輸送団の宿場町として始まったのです。10マイル(16km)毎に中継地が作られたので、10マイル町(10 Mile Town)と呼ばれています。
1800年代のメルボルンの英国軍

輸送軍団
  同軍団

代表的な10マイル町
Malmsbury, Kyneton, Carlsruhe, Gisborne, Mt Macedon, Buninyong, Ballan, Bacchus Marsh, Melton, Wangaratta, Benalla, Euroa, Avenal, Seymour, Kilmore

1851年9月には最初の金塊輸送がバララットからジーロン経由でメルボルンまで行われいます。50kgの金塊を6名の兵隊、警官、役人でした。道路事情が悪く、1時間に6kmの速度です。ジーロンからは蒸気船によって運びました。しかし金鉱山が増えるにつれて、大半の男性は金鉱夫として鉱山へ行ってしまい、輸送団の兵士の確保が難しくなりました。

夜の財務省ビル

代表的な強盗団ブッシュレンジャー
・Forest creek地区の片目のTom Wilson
・ベンディゴのギャング団Black Douglas
・Gisborne、CarlsruheのBlack Forestを根城とした大男の黒人ギャング。
・キャプテンメルビル(Captain Melville)として知られた中西部のFrank McCallumは、旅行者の毒殺を狙っていくつかの井戸に
毒薬を投げ入れています。
・海賊に似た風貌でBill the Spaniardの異名をとる悪名高きDan Morgan

Treasury Buildingは、豪州で最も幽霊が多い場所として知られていますが、金塊をめぐって血で血を洗う背景があったのです。
The Bushranger Site  襲撃の様子

The Haunted Bookshop

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