2007年6月24日(日)
ふたりのゴードン
Adam Lindsay Gordon(詩人)
Charles George Gordon (軍人)
Gordon Researve
スプリング通り Spring Street
メルボルン Melbourne
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今日は久しぶりに快晴となりました。気温も14度ほどと比較的あたたかい一日でした。このところ天気が優れなかったので、バーゲンセールもあり、みなさん街に繰り出しました。
昨年の今日 2006年6月24日
Adam Lidsay Gordon(詩人)1833-1870
豪州で最も名高い詩人です。
英国人のGordonは、イングランドの学校での成績が良くなく心機一転をはかって20歳の時に豪州へ渡ってきました。ビクトリア州のマウントガンビアや、南オーストラリアで競馬の騎手をしながら、詩を発表していました。ローブの街で奥さんと出会っています。両親の死により莫大な遺産相続をしましたが、投資に失敗して次第に経済的に困窮していきました。32歳の年には、南豪州で議員にもなっていますが、直ぐに辞任しておりビジネスの才能はなかったようです。1868年にメルボルンに移って来ています。その間にいくつかの詩集を発表しています。経済的に困窮し、最後は、銃により自殺しています。
ゴードンリザーブの全景
彼の死後、特にメルボルンでゴードンの詩が再評価されるようになりました。
現在のゴードンリザーブの銅像は、1932年に建設されました。1934年には、ロンドンのウェストミンスターの詩人のコーナーにゴードンの銅像が建てられました。オーストラリア人としては、唯一の銅像です。英国のエリザベス女王は、1992年のクリスマスメッセージでゴードンの詩を引用しています。今日の式典は、アダムゴードン記念会によるものです。
公式Web
Charles George Gordon 1833-1885
ロンドンに生まれたゴードンは、士官学校を出るとクリミア戦争に従軍します。彼の名を上げたのは、中国での活躍です。1700年代にイギリス東インド会社は、中国から茶を英国へ、インドの阿片を中国へ、イギリスの工業製品をインドへと運ぶ三角貿易で莫大な利益を上げていました。中国の清国は、国力が弱っており、阿片を取り締まろうとしてついに1840年に英国との間で阿片戦争が勃発します。ゴードン将軍は、1860年に中国へ派遣され太平天国の乱を征伐に活躍し、常勝将軍と呼ばれるようになり、
英国、豪州で英雄と呼ばれるようになります。この結果、清国は、英国、ドイツ、フランス、日本に分割されていきます。
右側は、旧財務省ビル。
英国東インド会社
正面は、セントパトリック大聖堂。
公式Web
1869年にエジプトにスエズ運河が開通しました。フランスとエジプトの共同事業でしたが、英国は株を買収し、更に1882年に英国軍が駐留を開始しスエズ運河を支配を開始しました。もちろん英国の狙いは、地中海からインド、アジア、豪州などへの海運と軍事支配です。英国は、エジプトの植民地化と共にスーダンへの侵略を開始します。英国軍のエジプト、スーダン侵略を現地で指揮したのが、中国から転進したゴードン将軍です。しかし最後は、スーダンのハルツームの町でイスラム教徒に包囲され全滅ししました。
ゴードン将軍の最後
正面はアルカストンハウス(Alcaston House)財務省ビル参照。
ゴードン将軍は、豪州に来たことはありません。しかし豪州に銅像が建つほどに英国連邦の中では英雄とされていました。メルボルンの建設の1835年前後に英国は中国、インド、エジプト、アフリカと世界中で侵略を行い、植民地化を進めていたことが良くわかります。
ゴードン将軍の最後は、チャールトンへストン主演で映画化されています。彼の名を取った学校がロンドンとカナダにあります。
スプリング通りトップ
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