2017年6月10日(土)
ウィリアム・キャンベル邸
William Campbell
スプリング通りとコリンズ通りの交差点
Spring Street and Collins Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map
メルボルン初期の資産家、ビジネスマンであるウィリアム・キャンベルの邸宅であり、後に歴代連邦首相の公邸である。
撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/250 F7.1 ISO感度 100 くもり 露出補正 JPG
レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2017年1月16日8:48 板屋雅博撮影
豪州伝記集
ウィリアム・キャンベル (1810-96)は富裕な農業資本家であった。キャンベルが1882年に英国に帰国した後は、一時期、1880年から1903年までギップスランド地方議会議員であったウィリアム・マックロー(William
McCulloch)が住んでいた。その後、農業資本家のカーンサイド家(Chirnside)の一族が住んでいた。1887年から1901年までは耳鼻科の医者が所有していた。1901年には成立したばかりの豪州連邦政府が土地建物を購入した。州議会議事堂のすぐ近くに立地していて便利な場所にあるので、内閣府や政府事務所として利用した。1901年から1012年までは連邦政府首相の事務所となり、8人の首相が使用した。Barton,、Deakin
(3回), Watson, Reid, Fisher (2回)である。
首相事務所は、1912年にすぐ目の前のトレジャリープレイスに出来た連邦事務所建物群へ移動した。
1020年代にキャンベラに新首都が建設されて移転するまで、連邦政府はこの建物を使用した。
キャンベル邸は、人の流れのスペース、大きなエントランス、鋳物鉄製欄干を持った階段など当初の設計プランを残している。
階段ホールの大きな窓はパラディオ式を模したもので、中央部には2枚の小さく狭い鏡板で仕切られた大きな窓が作られている。
ガラス窓の中央鏡板にはキャンベル家の紋章であるスコットランドアザミが繰り返して刻銘してある。
ウィリアム・キャンベル邸
William Campbell
ウィリアム・キャンベル邸
住所: 61 Spring Street
建築年:1877
建築様式:ルネッサンスリバイバル
建築家:レオナルド・テリー Leonard Terry
建材:セメント、化粧レンガ
当初は、スプリング通りに沿って南方向に4階建ての別棟が立っていたが1975年に解体された。現存する2階建ての建屋に主要部分が含まれている。
ウィリアム・キャンベル邸は、1800年代後半にメルボルン中心地に建設された一般住宅であり、未だに現存しており、たいへん貴重な建物である。
もう少し前の1858年頃に建てられたクイーン通り300番地の建物と比較される。
ジョン・スミスの居宅
著名なレオナルド・テリーの一般住宅としても重要である。レオナルド・テリーはメルボルンの著名な建築家で教会、銀行、商業ビルなど多数の作品をメルボルンやビクトリアに残している。キャンベル邸はテリーの好みのルネッサンスリバイバル様式で建築された。すぐ近くのテリーの作品、1858年建築のメルボルンクラブも同様の様式であるが、より厳格なデザインである。キャンベル邸は柱廊式玄関の突き出た中央部分など、リラックスしたデザインである。
ウィリアム・キャンベルは、1810年にスコットランドで生まれ、1838年にシドニーに移民してきた。農園で4年GMとして働き、その後、150頭の羊を連れてビクトリアへ陸路、歩いてきて居住を始めた。農業ビジネスは順調に拡大し、全豪に広がった。経営や金融の才能があり、豪州で最も富裕な農業資本家のひとりとなった。1870年代には18箇所の農園を所有し、金融市場でも活躍した。他の農園主にも資金の貸し出しを行い、土地、株式、羊毛などのビジネスを拡大した。ゴールズボロー社(
Goldsbrough Mort & Co)やメルボルン鉄道やトラムやガス会社、食肉会社のの大株主であり、ANZの前身銀行の取締役でもあった。1850年の初頭にキャンベルは、所有する農地で金を発見したが、農園の経営を優先して、翌年のゴールドラッシュ開始まで隠していたと云われている。
ゴールズボローモルトビル
このページのトップへ
|