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ハードロックカフェ

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2006年9月25日(月)へ
19時00
ハードロックカフェ Hard Rock Cafe
スプリング通り(Spring Street)とバーク通り(Bourke Street)の交差点
Melway 1B- V5

今日は、朝から素晴らしいメルボルン晴れの1日でした。でも気温は下がったままで、肌寒い一日でした。セーターかフリースが必要なほどでしたが、ハードロックカフェに来るような若者はTシャツで十分なんでしょう。
暖かくなるようで依然として寒いメルボルンの一日でした。

昨日までの画像
↓この下に追加画像があります。

バーク通りの東の端には、ビクトリア州議事堂があります。その周辺は静かではありますが、数軒の面白い店があります。ハードロックカフェが入っているビルは、ホテルウィンザー(The Hotel Windsor)の一角です。ホテルウィンザーは、メルボルンの老舗有名ホテルです。現在は、インドの財閥系ホテル『オベロイ』のグループになっています。メルボルンのヘリテージビル(文化遺産建物)に指定されています。

ホテルウィンザーは、1883年に建築されました。当時の名前はグランド ホテル(Grand Hotel)。現在の名前は1920年代からです。
ビクトリア時代(1865ー1880)に流行した第二帝国(ナポレオン三世時代)様式と呼ばれる建築様式を取り入れた優雅な王朝様式です。
一度、入ってみると面白いと思います。

公式Web

バーク通り(Bourke Street)の名前ですが、Sir Richard Bourkeから来ています。Sir Richard Bourkeは、1831年から1837年までシドニーが所属するニューサウスウェールズ(NSW)植民地の総督でした。バーク総督の最大の功績は、メルボルンという名前を命名したことにあります。メルボルンの街は、1835年にタスマニアのビジネスマン、ジョンバットマンが殖民した時に始まります。当時ビクトリアは、NSW総督の管轄下にありました。1837年、バーク総督は、時のイギリス本国の総理大臣(Prime Minister)であったViscount Melbourneの名前にちなんで、人口数百人の小さな町にMelbourneの名前をつけました。バーク総督は、メルボルンのゴッドファーザーなのです。

ビクトリア州州議事堂(Parliament House)

1837年は、イギリス本国ではビクトリア女王(Queen Victoria 1837−1901))が即位した年であり、輝かしいビクトリア時代が始まった年です。メルボルンの街の将来を象徴するスタートでした。メルボルンが所属するビクトリア州はもちろんビクトリア女王の名前から来ています。
今日のような肌寒い日でも暖房なしで外でカフェを楽しむメルボルンっ子です。
1851年7月にメルボルンが属するビクトリア植民地はNSW植民地から独立しました。ビクトリア植民地の初代総督チャールズ ラトローブ(Charles La Trobe)は、独立したその年にこの州議事堂の建設を命じました。
バーク通りと州議事堂の関係は判ってもらえたと思います。

ハードロックカフェの陽気なウェイトレスさん。オージーガールって感じです。まだ早い時間でしょうか、カウンターバーの方はお客さんはちょっと少ない様です。

Hard Rock Cafe Melbourne
1 Bourke Street Melbourne, Victoria 3000
TEL:03-9650-4755


公式Web


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