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バーク通り

ケーブルトラム本社ビル

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2008年8月5日(火)
ケーブルトラム本社ビル
Melbourne Omnibus & Tramway Building
バーク通り 669−675 Bourke Street
メルボルン Melbourne
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午前中は、ぐずついた天候でしたが、午後からはすっきりと晴れました。

昨年の今日2007年8月5日(ラングハムホテル Langham Hotel

この会社は、最初は、鉄道馬車を経営していましたが、その後、ケーブルトラムを経営するようになりました。
1891年建築 ゴシックリバイバル様式
設計:Twentyman & Askew

メルボルン ケーブルトラムは、現在の電気モーター式トラムの前のトラムシステムです。動力は電気ではありません。道路の地下にパイプ管を埋め込み、その中を鋼鉄製のケーブルを通します。ケーブルを時速10kmほどの速さで動かして、トラムはそのケーブルに捕まって走る方式です。市内各所にパワーステーションを設けてあり、そこで石炭火力によって蒸気機関を動かして、大きな円状のフライホイールを回転させます。ケーブルはこの回転するフライホイールによって動力を与えられるシステムです。メルボルンシティだけに限らず北はエッセンドン、南はセントキルダ、ブライトンまでダブルトラック、17ルート、総延長103km、総車両1200台という世界最大クラスのケーブルトラムシステムでした。欧州から遠く離れた植民地で実現できたのは、当時メルボルンがゴールドラッシュにより世界一の金持ち都市であったからです。

 世界で最初のトラムは、1840年にロンドン市内を走っています。1830年代に蒸気機関車が英国と米国で開発され営業運転が開始されています。しかし狭い大都市の市内を走りまわるには、蒸気機関車はあまりも巨大なシステムです。このため動力車なしで走れる小型軽量のトラムを駆動するシステムが考え出されました。しかし当時はまだ上質の鋼が存在せず駆動ワイヤーの損耗が激しく数年で中止になりました。1868年には、ニューヨークで改良されたケーブルを使ったシステムのトラムが営業を開始しましたが、これまた2年ほどで営業を停止しています。1873年には、サンフランシスコで駆動中のケーブルを直接つかむ方式(Hallidie Cable Car)が開発され、これがうまくいった世界で最初の例となりました。サンフランシスコのケーブルトラムは、現在でも、世界で唯一、営業運転を続けている路線です。

 メルボルンのケーブルトラム路線
リッチモンド線(1885 ブリッジ通)
ノースフィッツロイ線 (1886 ビクトリア通)
ビクトリア橋線(1886 ビクトリア通)
クリフトンヒル線(1887 ニコルソン通)
ニコルソン線(1887 ブラック通)
ブライトン線 (1888 セントキルダ通)
ブラーン線(1888 トーラック通)
ノースカールトン線(1889 パーク通)
トゥーラック線(1889 チャペル通)
北メルボルン線(1890 クイーンズベリ)
西メルボルン線(1890 アボッツフォード)
南メルボルン線(1890 シティロード)
ポートメルボルン線(1890 セシル通)
ウィンザー、セントキルダ線(1891)
ノースコット線(1890 ハイ通)
(建築年度 パワーハウスの場所)

電力を使わない蒸気機関の世界最大のケーブルトラム路線をわずか5年ほどで作り上げたメルボルンの財力は驚くほどです。石炭火力のパワーハウスがあちこちにあり、かなり煙たかったでしょうが。

当時、豪州には製鉄所が存在せず、ワイヤーや鋼材などの基本的な資材は全て英国などからの輸入に頼っています。1885年から1890年は、メルボルンの都心の主だったビル、ヤラ川の橋などの建築ラッシュです。ゴールドラッシュによる莫大な金塊がまだまだメルボルンに存在していたのです。

この建物が世界最大のケーブルトラムの本社であったことを知っているメルボルンっ子は専門家を除いてはほとんどいないと思われます。
それでもこの建物を建て替えようとしないメルボルンっ子の見識はたいしたものです。

バーク通り

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