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2008年3月24日(月)振替休日
イースターマンデー(Easter Monday)
フロレンティーノ
Grossi Florentino
バーク通り Bourke Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

すっかり秋も深まってきた感があるメルボルンです。Tシャツの人もいますが、長そでの人が増えてきました。今日は、最高気温は、25度ほどありましたが、風が強く吹いていました。

昨年の今日2007年3月23日(メルボルン-大阪ダブルハンドヨットレース

この先の角に、メルボルンNo1のカフェ『ペレグリーニ』があります。

 イースターの日曜日は、メルボルンのほとんどのお店は閉店していますが、イースターマンデーは、多くの店が開店しています。
イエスキリストは、ユダの裏切りを受けてエルサレムの郊外ゴルゴダの丘で十字架の上で磔の刑に処されて刑死しています。これは、西暦26年から36年と推定されていますが、欧米の長年の研究でもまだはっきりしていません。聖書(バイブル)によるとイエスは、刑死の3日後に生き返っています。イエスは、刑死後いったん墓に埋めらました。3日後の明け方にマグダラのマリア及び婦人が墓に向かったとこと、大地震が起こり、墓の入口を塞いでいた大きな石が転がり、入口が開きました。墓の中にイエスの遺体はなく天使がイエスの復活を女性たちに伝えたところ婦人は、大いによろこんで、急いで墓を立ち去り弟子たちに知らせるために走って行った。(マタイによる福音書)。イエスは、マグダラのマリアに近づいて『マリア』と呼びかけた。

 このイエスが埋葬された墓や墓石なども聖遺物として貴重なものです。
ゴルゴダの丘も、ローマ軍による破壊などで場所がはっきりとはわかっていません。325年に初めてのキリスト教信者の皇帝、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がキリストが刑死した場所に教会を建てることを命じています。現在の聖墳墓教会です。その際に処刑に使われた聖十字架や、聖なる釘などのいわゆる聖跡(聖なる遺物)を回収したと言われています。
この聖なる遺物探しは、2000年後の現代でも西欧社会のもっとも興味を引く話題となっています。

 西暦600年ころまでは、東ローマ帝国の力が中近東からアフリカの地中海沿岸部で確保されていました。650年ころからイスラム帝国が勢力を伸ばし、800年頃には中近東からアフリカは、イスラム圏内となります。
エルサレムの町もイスラムの勢力下にはいり、東ローマ軍との長年の攻防を続けました。その際、聖跡の大半は行方不明になっています。
1048年に東ローマ皇帝コンスタンティヌス9世がゴルゴダの丘に教会を建てています。これをきっかけに十字軍の遠征が始まります。約200年間にわたる十字軍の遠征ですが、大きな功績はあげていません。
遊園地の回転木馬(Carousel)は、十字軍の遠征をモチーフにして出来ています。

回転木馬 Carousel

 Grossi Florentino 公式Web
80 Bourke St
Phone: (03) 9662 1811
メルボルンに数あるイタリアレストランの中でも格式の高さではベスト3に入るトップレストランです。2階は、まさに一流レストランの雰囲気を持った店です。1階は、比較的カジュアル。秋の正式なディナーにお勧めの店です。スプリングとエキジビジョンの間にあります。

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