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メルボルン・ケーブルトラム本社

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2013年5月19日(日)
メルボルン・ケーブルトラム本社
Melbourne Tramway & Omnibus Company Building
バーク通り Bourke Street
メルボルン Melbourne
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バーク通りの西の端にはサザンクロス駅があるがその手前にメルボルン・ケーブルトラム本社ビルが建っている。1880年代のマーベラスメルボルンの繁栄の時代、世界最大のトラム網があった。その本社がこの建物である。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/1000 F4.5 ISO感度 100 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月16日15:33 板屋雅博撮影


メルボルン・ケーブルトラム本社
Melbourne Tramway & Omnibus Company Building
住所:669-675 Bourke Street
建築:1891年
用途:商業ビル
階層:4階
建築期:ビクトリアン
建築様式:ネオゴシック (ベネチアン・ゴシック)
建築家:Edward Twentyman、David Askew(Twentymanの義理の弟)
ノースケットのBastings通りとWaterloo通りの角に今でもTwentyman Houseが建っている。1853年以前のノースケットの最も初期の建物である。

メルボルン歴史辞書 

Walking Melbourne

 メルボルンで最も重要かつ目立つゴシック建築群はコリンズ通りのオールダーフリートゴシックビル群と同じコリンズ通りのA.C. Goode Houseであるが、ケーブルトラム本社ビルはずっと控えめなデザインである。ゴシック建築は、ルネサンス直前の13世紀から14世紀にかけてヨーロッパで流行った豪壮な建築様式。特に富裕な教会建築として有名。パリのノートルダム大聖堂、ロンドンのウェストミンスター寺院、ドイツのケルン大聖堂、イタリアのミラノ大聖堂など。マーベラス・メルボルンと云われた1880年代に多くの教会でも採用されている。
A.C. Goode House (メル百)

オールダーフリートビル群(メル百)

セントパトリック大聖堂(メル百)

セントポール大聖堂(メル百)


 1851年に始まったゴールドラッシュによりメルボルンは急速に拡大し、1870年頃には世界No1の裕福な都市となった。マーベラスメルボルンと呼ばれる繁栄の時代を迎え、数多くの品々を英国や欧米から輸入した。その最大の製品(システム)がケーブルトラムである。1800年代はまだ電気の安定供給が無い時代であり、人工エネルギーは石炭火力に頼っていた。1800年代初頭に産業革命が英国で起こり、石炭エネルギー=蒸気機関を使った数多くの製品やシステムが発明された。メルボルンは賢明にもケーブルトラムシステムを選択した。(シドニーは蒸気機関車を選択して失敗。)メルボルンシティだけに限らず北はエッセンドン、南はセントキルダ、ブライトンまでダブルトラック、17ルート、総延長103km、総車両1200台という世界最大のケーブルトラムシステムを完成させた。ケーブルトラム社は、最初は、馬車曳きのトラムシステムを導入していたが、1885年に最初のケーブルトラムが導入された。

 システムで使用する鋼鉄製ケーブルやフライホイールその他部品ははほぼ全量を英国と米国から輸入した。当時は海上輸送もクリッパー船と呼ばれた帆船などで輸送しており、大量の鋼鉄部品を地球の反対側まで輸送するにはたいへんな月日と桁違いの金額がかかっていた。この世界第大のトラムシステムを運営し、巨大な額の支払いを行っていたのがこのケーブルトラム本社である。クリッパー船(メル百)
ケーブルトラムが優れていた点は、排煙が出る施設を市内12か所にあったエンジンハウスに集中した点にある。そのため市内を走るトラムカーは排煙を出さず、小型で便利なものとなった。シドニーのように巨大で黒煙を吐く蒸気機関車が市内を走ったために直ぐに市民から嫌われたのとは対照的。市内の道路地下を常に循環するケーブルをトラムカーのグリップで掴んだり離したりして進行や停止をするシステムも電気やモーターが無い時代には画期的な発明であった。

 メルボルン・ケーブルトラム会社による運営は、1885年に始まり、1916年にビクトリア州政府のメルボルン首都圏トラム局(Melbourne and Metropolitan Tramways Board)に引き継がれた。その頃には電気式トラムが普及し始めており、石炭火力をエネルギー源とし、地下の鋼鉄製ケーブルが走るケーブルトラムは、1940年10月26日に終了した。その後は架線(架空電車線)方式の電気トラムが導入されたが、今日に至るまでメルボルン市民に親しまれている。自動車の普及の中、豪州の他都市ではトラムは廃止されていったがメルボルンだけは独自にトラムを発展させていった。この数年でもドックランズ地区に新たな路線が作られ、今後もメルボルン海岸沿いに新設が予定されるなど拡大を続ける。

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