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ジョブウェアハウス、クロスレイビルディング

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2014年1月3日(金)
ジョブウェアハウス、クロスレイビルディング
Job Warehouse and Crossley's Building
リバープール通りとクロスレイ通りの間
Liverpool Street and Crossley Street
バーク通り Bourke Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

バーク通りの北の端に近いあたりにあるこの古びたビルはその素性が気になる建物である。一流の店舗がならぶ大通りであるのになぜか古ぼけた洋服生地屋と本屋が入居している。(撮影当時)


撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/80 F4.5 ISO感度 100 オート 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2011年1月6日16:03 板屋雅博撮影


ジョブズウェアハウスは、実はメルボルンで最も古い建物のひとつである。メルボルンでゴールドラッシュ期以前の1850年以前に建てられて現存している建物は非常に少ない。1848年から1849年にかけて2階建てレンガ造りで建築された。漆喰を塗ったレンガ造りで、柱脚には石が使われている。
建築家は不明。植民地ジョージア様式。1階が店舗、2階が住居になっており、お店の窓枠などを除けば、建築当初のシンプルな姿を保っている。クロスレイ通りからリバプール通りまでの1ブロックの一続きの建物である。1853年にリバプール通り側に建物が増築された。

住所:54-62 Bourke Street Melbourne

Onmydoorstep

クロスレイビルディング Crossley's Building
この建物の西側部分(60-62 Bourke Street)は、当時の有名な食肉屋ウィリアム・クロスレイ( William Crossley)が建てたもの。ジョブズウェアハウスと同じ1848年から1849年に建てられた。食肉販売店舗としてまだ食肉処理場もあり、家族と住む住居でもあった。1880年代にはウィリアム・クロスレイの元で修業した若者がメルボルンのあちこちで肉屋を開業している。ウィリアム・クロスレイは、食肉業界の元締めとして名が知れた。西側の店舗(現在、本屋)を肉屋として使い、東側の2店舗は賃貸していた。

Onmydoorstep

なお生地屋は、2012年6月に閉店している。
The Age記事

 著名な風景画家のユージン・ボン・ゲラードEugene von Guerardが56番地に1857年から1858年にかけて住んでいた記録がある。ユージン・ボン・ゲラードの父は、欧州オーストリアのフランシスU世の宮廷画家であった。オーストラリアに来て16年間、タスマニア、南豪州、ニュージーランドなどを旅行して数多くの風景画を書き残している。オーストラリアが植民地であり、写真が普及していない時代に貴重な資料であり芸術であった。ユージン・ボン・ゲラードは、メルボルン芸術学校(後の州立美術館)の初代絵画主任教授に就任した。



  クロスレイは、このビルを1900年過ぎまでは所有していた。クロスレイの名前は、建物の西側で隣りの有名喫茶店ペレグリーニとの間の通りの名前として残っている。

左の画像は、クロスレイ通り。

クロスレイ通り 

Pellegrinis

The Paperback Shop 
60 Bourke Street Melbourne -
03 96621396 -
enquiries@paperbackbooks.com.au

 リバプール通り側
こちらの通りにもたくさんの飲食店が並んでいる。

メルボルンは、ゴールドラッシュの1851年にNSW植民地から独立して、ビクトリア植民地となった。この建物は、まだNSW植民地の治下の時代の建物である。すぐ近くに植民地議会議事堂や財務省ビルなどがある政府の中枢に位置する当時としては最高の立地である。そのような場所でも肉屋や他のショップがあった。当時の建築様式や庶民のくらしなどがわかる貴重な建物である。

メルボルンの建築物 1849年以前

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