12月のメルボルン

ボクシング・デー Boxing Day 2009

メルボルンの四季トップ

2009年12月26日(日)
ボクシング・デー Boxing Day 2009
マイヤー、デビッドジョーンズ前
in fromt of Myer, David Jones
バーク通り Bourke Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図Google Map

ボクシング・デーの今日は、午前中から一日中、快晴となった。気温は、22度ほどと気持ちが良い温度であった。

Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF6.3 1/640秒 ISO感度 100 WB太陽光 画質圧縮率 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L IS USM

 メルボルンのデパート通りのバーク通り。
右側の茶色の建物は、コールズ・スーパーマーケット2号店(現、デビッド・ジョーンズ)

クリスマスの翌日である12月26日、ボクシングデーは、クリスマスと同様に豪州では祝日。州によって若干、取り扱いは違うが、基本的は祝日は変わらない。土日にぶつかった場合は、翌平日が祝日。これは州によってまた年によって変化する。

ビクトリア州政府祝日ガイド

一般市民にとっては、ボクシングデーはクリスマスの特売セール。
市内のほとんどのお店が今日から特売セールを実施。大手のマイヤー・デパート、デビッド・ジョーンズでは今日は、朝5時から夜12時までの大幅時間延長をして一部の商品は、50%以上の大安売りです。

 マイヤーデパートの入口。
午前10時には、買い物客で大混雑。
現在、マイヤーデパートの本館(バーク通りからリトルバーク通り)は、正面のファサードを除いて、ほぼ完全に取り壊して、新しく建築中。リトルバーク通りへ抜ける1階の中心通りだけは、化粧品などを販売。

ボクシングデーは、英国の伝統的な休日。従業員、貧しい人、社会的な弱者に対する援助の日とされている。英国、豪州、NZ、カナダなど英国連邦(コモンウェルス Commonwealth)の国々の祝日。
クリスマスのプレゼントBoxを開ける日とも理解されている。

ボクシングデーは、メルボルンの全盛期の1850年代後半、ビクトリア時代に始まっている。

 老舗のデビッド・ジョーンズ。
こちらも建物は大幅に改築。しかし完全に取り壊さずに建築用パネルなどを使用して、短時間で改築を完了。

ボクシングデー(Boxing Day)とは何を意味しているのか?に関しては現在でもいくつかの起源が唱えられている。

中心的な内容は、裕福な商人など中産階級や市民クラスが、クリスマスの前後に貧しい下僕や、雇い人などに対して施しをしたということ。
施しをする際に、現金や食べ物をクリスマスプレゼントに見立てて箱に入れて贈ったこと。
下僕、雇い人、労働者は、クリスマス当日は、主人や市民、中産階級のために働くが、クリスマスの翌日をボクシングデーとして休日がもらえたこと。
これらが重なって、ボクシングデーの休日が成立している。

 マイヤーデパートの売り場。
ワゴンの中は、特売品が山積み。

メルボルンが成立した1800年代は、英国で産業革命が始まり、裕福な市民・中産階級と労働者階級がはっきり分かれた時代であった。この時代には、貴族階級はまだ存在したものの経済の中心は商人・市民階級へと移っている。

この時代の雇用主と雇い人は、1823年に英国で制定されたMaster and Servant Act(主人と下僕法)に規定されているが、非常に厳しい階級差別が存在した。
当時の英国では、経営者と労働者というよりは、主人と下僕という意味であった。


  オーストラリアの各植民地でも1845年に同法が適用されている。労働者は、経営者の指示に従わない場合、例えば数時間、無断で勤務場所を離れただけでも、懲役刑が科せられた。
メルボルンには、多くの囚人が英国から島流しの刑で送られてきたが、大半は、主人と下僕法や軽犯罪による囚人であった。

英国から豪州に送られたの多くの囚人は、こういう時代の犯罪者であり、現在の刑法からは犯罪者とは呼べない人々であった。

富裕な階級が、貧しい階級に施しをした点は微笑ましいが、英国の19世紀の事情は、微笑ましいなどとは云っていられない悲惨な実態であった。

  その後、20世紀も後半に入ると労働者が貧しい人々を意味しないようになる。
労働者政党が政権を握るようになりボクシングデーの本来の意味は薄れていく。
贈り物であるボックスと、祝日(デー)だけが残り、現在のような大安売りの日と変化していった。

Boxing Dayの意味 

このページのトップに戻る 

inserted by FC2 system