2011年12月30日(金)
アーガスビル Argus Building
エリザベス通とラトローブ通交差点
メルボルン Melbourne
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エリザベス通りとラトローブ通交差点の交差点に鎮座するこの建物は、現在、使用されてなく廃墟の状態である。歴史ある名建築であるだけに早い復興が望まれる。
撮影データ Canon EOS 5D MarkUシャッター速度優先AE 評価測光 絞り14.0 1/80秒
ISO感度 100 露出補正-2/3 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博
アーガスビル Argus Building
住所:359-393 Elizabeth Street and 284 - 294 Latrobe Street
建築:1924年
設計:Godfrey & Spowers
建築期:両大戦期 Inter War
建築様式:クラシカル/ボーアーツ
シカゴ派
階層:8階
用途:事務所
施主:アーガス新聞社
現在の用途:使用されていない。廃墟
Walking Melbourne
ナショナルトラスト
アーガスビルは、かつてメルボルンの新聞社であったアーガス新聞社(The Argus)の本社ビル。
アーガス新聞社は、1846年にウィリアムカー(William Kerr)によって創刊され1957年に廃刊となった。日刊のメルボルン朝刊紙。メルボルンは、1835年に移民が開始されており、メルボルンの初期に創立された名門新聞社のひとつ。
アーガスの強敵は、1856年創刊の日刊朝刊紙エイジ紙(The Age)。
ウィリアムカーは、オーストラリアで最初の新聞であるシドニー・ガゼット紙の記者であったが、1839年にシドニーからメルボルンへ移ってきた。
当時のメルボルンには、メルボルンの創始者であるジョン・パスコ・フォークナー(John
Pascoe Fawkner)が1838年に創設したメルボルン・アドバタイザーがあった。
メルボルン・アドバタイザーは、1839年に
Port Phillip Patriot紙に名前を変えている。
メルボルン最初の新聞メルボルン・アドバタイザーは、下記を参照
ウィリアムズ通コリンズ通交差点
アーガス紙は、かなり下品な紙面であり、個人攻撃などを繰り返し、裁判沙汰が続いて、ウィリアムカーは退社し、1853年に社長をEdward
Wilsonに交代した。アーガス紙は、その後、The Australasian紙、更に1946年にAustralasian
Post紙を発行している。
1933年には、the Melbourne Evening Star 紙を発行して、The Herald紙と競った。
1949年には、英国ロンドンを本社とするデイリーミラー紙グループの傘下となった。
1952年には、アーガス紙は、世界で最初にカラー写真を掲載した新聞となった。
1956年には、ラジオやテレビなどにも進出。
1957年には、アーガス紙グループは、ルパート・マードックの父であるキースマードックが率いるthe
Herald and Weekly Times group に売却された。
キースマードックは、アーガスの印刷設備などは使用したものの、アーガス紙は廃刊し、ラジオ、テレビなどの株式は売却している。アーガス紙の最後の発行は、1957年1月19日となった。
アーガスビルは、もともとは石材で正面ファサードを化粧していたが、1980年代にセメントにて塗装を施した。
2004年に、ラトローブ大学が購入。改装してシティキャンパスとして使用する予定であった。時計台を完成させるなど当初のデザインに復帰して作り上げようと考えていた。しかし改装コストに加え、アスベストの除去費用が膨大になるため、その計画がとん挫し、2008年にデベロッパーのRyssal-Three
に売却されている。
現在、いくつかの再開発計画があるが、アパート、ブティックホテルなどが有力である。現在のアーガスビルの内部は、アスベストの除去のために、かなり廃墟と化しているが、再開発の準備は進んでいる。
76コリンズ
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