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女性クリスチャン禁酒連盟の飲用水泉(WCTUの泉)

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2015年6月3日(水)
女性クリスチャン禁酒連盟の飲用水泉
(WCTUの泉) Women's Christian Temperance Union drinking fountain
エリザベス通りとビクトリア通り
Elizabeth St and Victoria Avenue
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map
 
テンペレート運動とは1800年代後半にアメリカや豪州で流行した禁酒運動でメルボルンにもコーヒーパレスと云って禁酒のホテルがたくさんあった。有名な場所としてはスプリング通りのウィンザーホテルがある。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 6.3 1/400秒 ISO感度200 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2015年1月24日 11:02


 WCTUの泉は、クイーンビクトリアマーケットのエリザベス通りを隔てた対面に建っている。WCTUメルボルン支局は1887年に設立された。1874年に設立さえたアメリカのWCTUに刺激を受けて設立された。アメリカの本部は世界中に宣教師を派遣して支局の設立を支援した。WCTUの創設者のひとりメリー・クレメント(Mary Clement Leavitt)は1885年に英国植民地であったオーストラリアとニュージーランドの都市や地方都市を数多く訪問してWCTUの支局設立を手助けした。最も大きな支局はビクトリア植民地であった。WCTUは女性によって運営されるNPOで多くの社会改革運動を展開し、禁酒運動や、女性の参政権運動などを進めた。
WCTUは女性が参政権を得れば、社会政策や法制に良い影響力を及ぼすと考えていた。WCTUは政治的請願、手紙作戦、教育、面談などの手法で熱心に活動を進めた。

 Onmydoorstep


 禁酒運動の一環としてWCTUは公共の場での飲用水、特に飲用の水栓(タップ)や泉の設置を進めた。飲用水の泉は主に多くの人々が集まる団体の施設や酒場の外に設置された。顧客を失うことを恐れた酒場の主人たちに反対されることが多かった。
豪州独立を記念して1900年にヨーク公爵と公爵妃(後の英国ジョージ5世王とマリー王妃)のメルボルン訪問を記念してWCTUはメルボルン市に飲用泉の寄贈を決めた。最初は建築が始まったフリンダース通り駅の近くに設置する予定であったが、結局、ビクトリア市場のそばに設置された。WCTUはヨーク公妃が除幕式への臨席を望んだが、碑文には単にヨーク公と公妃のメルボルン訪問を記念してとあるだけで臨席はならなかった。

 WTCU (公式Web)

 eMelbourne


  花崗岩と大理石で出来た泉は250ポンドの資金で建設された。デザインは有名な彫刻家ではなくJ. Churchmanという無名の作家によるものである。チャーチマンはカールトンのメルボルン墓地で墓碑を彫刻する石工であった。泉の荘厳な雰囲気は墓碑石工のチャーチマンが制作したことによる。
石材で作られた飲用水の鉢が置かれていて、上部にはゴシック様式の天蓋があり、そのうえには柱礎があり、更に上に天国を指さしクラシカルなローブを羽織る女性の像がある。WCTUのモットーである、神のため、家庭のため、人間性のためという文字が刻んである。コーウォールとヨーク公爵と公爵妃の訪問を記念して、と云う文字も刻んである。デザイナーと製作者の名前もある。湧き出る水栓もその後、設置された。



1880年代に多くの飲酒が可能であったホテルが禁酒のコーヒーパレスに変更され、禁酒運動(Temperance Movement)は盛り上がった。料理店などで酒の提供にライセンスが必要であったが、ライセンスの発給は非常に制限さえた。このことが現在のBYO(自分の酒を料理店に持ち込む制度)につながっているのは皮肉な話である。

メルボルンのコーヒーパレス
ウィンザーホテル

ビクトリアホテル

ジョージホテル

ビクトリアホテル

左の画像はメルボルン多文化スペース
AMES Multicultural Hub

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