2016年6月12日(日)
メルボルンシティビル
The City of Melbourne
(Building Society) Building
エリザベス通りとリトルコリンズ通り
Elizabeth St and Little Collins Street メルボルン Melbourne
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メルボルンシティビルは、建築史的にも重要だが、オーストラルオーティス社製水圧駆動式エレベーターを初期に導入したビルとしても重要なビルである。
撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 10.0 1/125秒 ISO感度100 露出補正 オート JPG レンズ
EF 24-70 mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2016年1月16日 15:22
The City of Melbourne (Building Society) Building メルボルン建築協会ビルとしてに建築。 建築年: 1888年 場所: 112 Elizabeth Street
設計:W.H. Ellerker及びEdward George Kilburn 建築時代:ビクトリアン (Victorian) 建築様式:Queen Anne 階層:4階建 登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register
Edward George Kilburnは、1885年からは、William Henry Ellerkerをパートナーとしていくつかの建物を残してる。1880年代は、メルボルンの建築の黄金期。ゴールドラッシュの資金がホテル、劇場、銀行、事務所などの建築物につぎ込まれまた。4階建ての当時としては十分な高層建築。屋根、窓、支柱などの装飾が見事。クイーアン様式の建築物の代表例。この建物を完成させた後、Kilburnは、アメリカへ視察旅行へ出かけた。その後の彼の作品にはシカゴ建築の影響が大きく出てきている。
ビクトリア式折衷形式であり豪華で美しいモチーフをしたクイーンアン様式のアングロ-ダッチバージョンである。異なった建築様式で建てられたふたつの建物が結合している。
メルボルンシティビルは、4階建ての煉瓦製建物でW.H. Ellerker 及び E.G. Kilburnに1888年に設計された。施主はメルボルン市建築協会であった。メルボルン市建築協会は、長く存続した訳ではないが、いち時期の会長は、後に連邦首相を務めたアルフレッド・ディーキン(Alfred Deakin)であった。
建物は、エリザベス通り側とリトルコリンズ側のふたつのファサードを持っている。コーナーは円形にデザインされている。柱やピラスター(壁面から浮き出している装飾用の柱。通例、薄い角柱状で柱頭と柱基を備えている。)、オーデキュール(ほこらなどの小建造物)、バロック様式の切妻屋根、絵画的な屋根のライン、急な角度のスレート屋根、鋳物鉄で施された装飾、大型の煙突など古典的な建築様式の折衷様式である。
メルボルンシティビルは、建設当初からオーストラルオーティス社製水圧駆動式エレベーターを内部に設置していた。
1880年代にメルボルンは鉄骨構造を使う高層建築の時代を迎えた。コリンズ通りなどで5階建て以上の高層ビル、摩天楼建設が始まり、早く安全なエレベーターの需要が高まった。まだ電気が普及していない時代であり水圧を利用した米国のオーチスエレベーター会社、英国の Waygood社などが水圧式エレベーターを製造していた。
オーストラルオーチス社は、1878年にHughes, Pye & Rigbyとして設立され、鉱山機械、蒸気機関、エレベター、羊毛製造機械、各種水圧プレスを製造していた。1887年に豪州オーチスエンジニアリング&エレベーター株式会社となり、メルボルンの建築ブームに乗り発展した。同社は1880年代の終盤には従業員300名で、ポンプ用エンジン、鉱山機械、水圧エレベーター、メルボルンのケーブルトラム用や最初の発電所の巨大な蒸気エンジンなどを製造した。
オーストラルオーチス社は、1889年に水圧駆動システムを開発したが、当時世界では数社のみが製造販売していた。オーストラリアでは同社のみであった。同社はメルボルン・ケーブルトラムや金鉱山、バララット羊毛工場などで使用された蒸気機関を製造した。メルボルンシティビルディングは内部に
オーストラルオーチス社製の水圧エレベーターを設置した。マンチェスタービルは、オーチス・ウェイグッドエスカレーターを設置してあり、現在も現役で1階と2階を結ぶ用途で使用されている。これはビクトリア州で最初のエスカレーターである。オーストラルオーチス社は、1888年のメルボルン万博で使用された蒸気エンジンや室内クレーンなどを制作して表彰されている。
メルボルン公共建築局(Melbourne and Metropolitan Board of Work)は、スポッツウッドに下水ポンプ工場を作り、主に英国製の蒸気エンジンを採用したが、オーストラルオーチス社は、第六ポンプ用の蒸気エンジンを製造した。その後、4基の蒸気エンジンを1911年から1914年にかけて追加で納品している。
1890年にデイツの滝ポンプステーションに150馬力の蒸気エンジンを納品している。
1893年頃ラトローブバレーの植民地政府電力用褐炭採掘施設に巨大な採掘機械を製造している。
サウスバンクのカバナ通りとキングスウェイの交差点にオーストラルオーチス社の最初の2階建て煉瓦建築の本社ビルが現存している。
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