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ナウル・ハウス Nauru House

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2012年5月06日(日)
ナウル・ハウス Nauru House
エキジビジョン通りとリトル・コリンズ通り
Exhibition Street and Collins Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

メルボルンシティの南東地区には多くの超高層ビルが並ぶが、ナウルハウスもその一角にある。五角形の概観が特徴的。
住友商事豪州が高層階にあるなど、日系企業も多く入居している。ナウルハウスは、1977年の建築当時は、メルボルンで第一位の高層ビルであったが、現在では、第11位。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF3.2 1 /200秒 ISO感度 100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM
2011年1月02日板屋雅博 撮影

 ナウル・ハウス Nauru House
住所:80 Collins Street
建築年:1972−1977年
階数:52階
建築スタイル:モダン
設計、建築:Perrott Lyon Timlock & Kesa
屋上までの高さ:183m
尖塔までの高さ:190m
総フロア面積:50,500u

ナウルハウスのコリンズ通り側には、ちょっとした土の広場があり、二階建ての歴史的な建造物が建造物が並んでいる。高層ビルも都市には必要だが、古い建築物も残す良識がメルボルンにはある。

Walking Melbourne

メルボルンの超高層建築

 ナウルハウスが経っている土地は、1972年に、ナウル共和国によって投資の為に19億豪州ドルで取得された。当時のナウル共和国は、リン鉱石の輸出で資金が潤沢にあり、ナウル・リン鉱石会社を通して盛んに海外に投資を行った。
ナウル共和国は、太平洋の島国でほぼ赤道直下に位置する。国土面積は、わずか21平方kmと新島ほどの広さ。人口は、1万人強で、バチカン市国、ツバルに続いて少ない。1798年にイギリスの捕鯨船によって発見された。1888年にドイツ領となり、リン鉱石が発見された。その後、第一次世界大戦では、オーストラリア領となりイギリスの支配下になる。1942年には、日本軍が占領。1946年には、第二次大戦の終戦によりアメリカが占領。1968年に英国連邦として独立。1970年までは、リン鉱石は、英国が独占して採掘していた。

ナウル共和国の場所(Google地図)

 しかし1989年には、リン鉱石の産出量は減少を始める。
2000年頃までは、リン鉱石からの莫大な利益のために、国民は無税であり、世界最高水準の所得や生活水準を保っていた。
太平洋諸国に対する貸付や、ハワイやメルボルンへのホテル投資など海外投資も積極的に進めたが、ほとんどが放漫経営などで失敗してしまった。2002年からは、リン鉱石の枯渇により、国家収入は大幅に減少し、経済は崩壊。国民の生活も低水準への戻った。

ナウルハウス(ナウル共和国)

  ナウル・リン鉱石会社が、ナウルハウスの土地を購入したのは、ナウル共和国が独立し、更にリン鉱石採掘の権利を得た2年後。ナウル政府は、この場所にコリンズ通りに相応しいツインタワービルを建設を試みたが、最終的には一棟のビルに落ち着き、1977年に建設が完了した。しかし経営の失敗や、横領、米GE社へのローンの支払いなどで、推定227億ドルの負債を抱え込んだ。ナウルハウスは、2004年に140億ドルで豪州のQIC社が購入して、保有している。

ナウルハウスは、リン鉱石からの巨額の利益を投資して、ナウル国民に利益を出す計画であったが、巨額の損失を出して失敗に終わった。

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