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ビクトリア・ロイヤル・ソサエティー Royal Society

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2016年8月24日(水)
ビクトリア・ロイヤル・ソサエティー
Royal Society
エキジビジョン通とビクトリア通
Exhibition Street & Lonsdale St
メルボルン Melbourne
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目立たないビルだが、ロイヤルソサエティがメルボルンへの文化、科学に対する貢献は非常に大きい。マーベラスメルボルンと呼ばれた繁栄の時代を支えたのは科学技術と学問的な組織があったからである。

撮影データ Canon EOS 5DMarkU 絞り優先AE 評価測光 絞りF10.1 1 /400秒 ISO感度 100 露出補正 太陽光 JPG レンズ EF 24−70mm f/2.8L USM 2016年1月23日17:52 板屋雅博 撮影


  ビクトリア・ロイヤル・ソサエティー
ビクトリア科学協会
The Royal Society of Victoria
住所:9 Victoria Street
1-9 Victoria Street, 2-8 La Trobe Street
建築:1858年
建築期:ビクトリアン
建築様式:アカデミッククラシカル
設計:Joseph Reed


ロイヤルソサエティー公式Web

Walking Melbourne

wikipedia  Onmydoorstep

現在の2階建てロイヤルソサエティビルは、1859年に完成したミーティングホールを最初として数段階で建設された。設計は当時の著名な建築家ジョセフリードである。2階建てのメインの建物は化粧煉瓦を作られており、ひとつのファサードは、ドーリア式柱によって5つのベイに分割されている。建物の4つの角は、各壁に対して丸くなっている。
5つのベイのそれぞれの各階に設けられた窓はシンプルなアーチがつけられている。1867年から69年、更には1880年に追加建設がなされジョセフリードのリード&バーンズ事務所が設計している。1880年代の追加建築ではメインホールや格間天井、コリント式柱などが含まれる。



 ロイヤルソサエティは、1855年に学問的な団体としてそれぞれ1854年に設立されたビクトリア哲学協会と先進科学協会が合併して設立された。いずれの協会も英国をモデルとしている。先進科学協会会長は、裁判所長官でメルボルン大学初代学長、メルボルン図書館創立者のRedmond Barryであった。1853年にビクトリア植民地政府は自然科学博物館設立と運営の為のビクトリア哲学協会の設立を決定した。初代会長は、土地監督官(Surveyor-General of Victoria)であったAndrew Clarkeが就任した。 合併後1859年にロイヤルの称号を本国から得ている。最初の会長はDr Ferdinand Muellerであり、後に男爵の称号を得てバロン・サー Ferdinand von Muellerである。Ferdinand Muellerは、メルボルン天文台や植物園や公園などの造営でも貢献している。



ロイヤルソサエティは、生まれたばかりの新しい植民地に科学の指針を与え続けた。天文学、人類学、農業、地学、植物学、動物学、生物学、自然科学全般、エンジニアリング、気象学など広範囲な科学の指針となった。他の豪州の植民地ではこのような高いレベルの達成はなかった。
ロイヤルソサエティの名前が有名になったのは、1860年にバークとウィルスの豪州縦断探検隊を組織したことである。バークとウィルスの探検隊は、ロイヤルソサエティの後援のもと、豪州大陸の内陸部を探検した。バークとウィルスの探検隊はひとりを除いて全滅したが、バークとウィルスの遺体はロイヤルソサエティビルの前に置かれた。
ロイヤルソサエティビルは、世界で最も古い気象台のひとつであり、1907年から気象台としても活躍している。




 メルボルン博物館、気象庁、ビクトリア政府管轄公園、1885年の豪州南極探検委員会、1978年にはビクトリア海洋科学協会の設立などビクトリアの科学の進展に非常な貢献をしている。現在でもこの場所で毎月2回の会合を開いて活発に活動している。ロイヤルソサエティは、設立当初から学者や専門家だけでなく一般の人々にも門戸を開いている。


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