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2015年5月9日(土)
メトロポリタン・ガス・カンパニー本社ビル
Metropolitan Gas Company
フリンダース通り Flinders Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

メルボルンの中心地セントポール大聖堂の隣にメトロポリタン・ガス・カンパニーの旧本社ビルはある。1800年代の後半から電気が普及するまでの数十年間、メルボルンはガスエネルギーによる近代化が進んでいた。冷蔵庫などの家電製品、トラム、街灯などがガスで動いていた。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先優先AE 評価測光 絞り 8.0 1/320秒 ISO感度125 露出補正-1/3 太陽光 JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2013年1月16日 21:11

メトロポリタンガス会社本社ビル
Metropolitan Gas Company
ビクトリアガス燃料公社本社ビル(1951年以降)
Gas and Fuel Corporation of Victoria
住所:194 Flinders Street
建築年:1892年
建築期:ビクトリアン
建築様式:ネオゴシック
設計:ジョセフリード (Reed, Smart& Tappin)
階数:7階

メトロポリタンガスカンパニー(MGC)ビルは隣のセントポール大聖堂とよく似ているが同じ建築家ジョセフ・リードが同時期に設計したことによる。


  この場所は1850年頃から隣のセントポール大聖堂の敷地の一部であった。1877年には教会で使用する石炭ヤードであり3階建ての建物が建っていた。最初はファサードは赤レンガで表面化粧されていたが、1930年代に合成石に化粧を変えられた。

このビルは当初はMGCの本社ビルであったが、その後は、MGCの後継会社であるビクトリアガス燃料公社(Gas and Fuel Corporation of Victoria)の本社ビルとなった。1967年にガス燃料会社の本社はフリンダース通りの向かい側(現在は解体されてフェデレーションスクエア)の場所に移転した。1967年から数年間は、クラークゴム会社(Clark Rubber.)が入居していた。


  メルボルンに於ける最初の街灯や店舗灯は1849年のウィリアム・オバートン(William Overton)に始まる。翌年にはメルボルンガス&コーク会社(City of Melbourne Gas & Coke Co.)が設立されたが、ゴールドラッシュによる遅れのため、広範囲でのガス管の設置は1856年の元旦になり、ガス街灯は1857年8月にやっと本格的に始まった。
最後のガス灯 (メル百)参照

メルボルンで最初に都市ガスを生産し、供給したのはメルボルンガス&石炭会社でウェストメルボルンに1854年に設立された。ウェストメルボルンはヤラ川に接しており、ヤラ川を通して石炭を入手できたのが理由である。最初は市内のガス灯などへの供給が主であった。1860年代に入ると家庭や工場、ケーブルトラムなどの需要が急激に増加し、ふたつのガス会社が設立された。ひとつはコリンウッド、フッツロイガス&石炭会社(Collingwood, Fitzroy and Fitzroy and District Gas Company)とサウスメルボルンガス会社(South Melbourne Gas Company)である。


3つのガス会社の供給区域は一部で重なっており、値引き競争などが激しくなったために1878年1月1日付けでメトロポリタンガス会社法(Metropolitan Gas Company Act)が制定され、3つの会社が合併して、独占企業メトロポリタンガス会社(MGC)が設立された。英国でも1860年にメトロポリタンガス法が成立しており参考にしたと見られる。

1990年代になるとメルボルンでのガス使用量が増大し、それにつれてMGCの社員数も増大したために新しい本社ビルの建設を決定した。
いくつかの建設地候補を検討した結果、現在の場所を選定し、セントポール教会財団から50年のリース契約を行った。



 1951年、ビクトリア州政府はメトロポリタン・ガス会社とブライトンガス会社を合併させビクトリアガス燃料公社を作りガスを独占供給させ、1971年にはジーロンガス会社も合併させた。大きな目的はビクトリア州の低品位ブラウンコール(褐炭)の使用であった。それまで不効率で排ガスをばらまくメルボルン郊外に点在していた中小のガスプラントを閉鎖し、メルボルンの南部ギップスランドのラトローブバレーにあるモーウェルに褐炭を燃料とする近代的なガス化工場を設置することであった。ドイツのルルギ式ガス化法を用いるガス化プラントは1956年に完成しメルボルンまで高圧ガスパイプラインにて石炭ガスを供給始めた。

 1997年にビクトリアガス燃料公社は生産、ガス配給、販売の3部門に分割され、ビクトリア州電力公社(State Electricity Commission of Victoria,)と共にジェフケネット州首相政権の時に私企業となった。ガス燃料公社の本社ビルは、1967年にフリンダース通りの向かい側に移転しており、プリンセスガスタワーズ(Princes Gate Towers)と呼ばれていたが、その後解体され、現在のフェデレーションスクエアとなった。

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