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Metropolitan Gas Company メトロポリタン ガスカンパニー

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建築物1890年代

 産業史

フリンダース通り

2017年9月9日(土)
メトロポリタン・ガス・カンパニー本社ビル
Metropolitan Gas Company
フリンダース通り Flinders Street
メルボルン Melbourne
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メルボルンの中央部に居を構えるのは1850年代からメルボルン近代化を支えた動力源のガスを供給したガス会社の本社である。隣のセントポール大聖堂とよく似ているが同じ建築家ジョセフ・リードが同時期に設計したことによる。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU絞り優先優先AE 評価測光 絞り 8.0 1/320秒 ISO感度125 露出補正-1/3 太陽光 JPG レンズ EF 70-200mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2017年1月16日 9:17

1835年に始まるメルボルンはろうそくとオイルランプが夜の町をほそぼそと彩った。1840年代には1−2名の意欲ある店主が小型石炭ガスプラントを作って店舗を照らした。スワンストン通りのパン屋お菓子屋の William Overtonがフィッツロイの鍛冶屋 George Southが制作した石炭ガスランプは、1849年7月23日に点灯して多くの市民の注目を集めた。新しもの好きのメルボルンは、翌1850年に早くもメルボルン市ガス&コークス会社(City of Melbourne Gas and Coke Co)が設立された。1856年元旦に同社のバットマンヒル工場から石炭ガスがメルボルン市内の店舗や事務所に供給が開始された。オイルランプに比べるとガスランプは格段の進歩であった。しかしメルボルン市当局とガス会社とのガス購入価格が折り合わなかったため、道路の街灯が実施されたのは1857年8月であった。

産業革命 Gas Lighting

 ガスの需要は非常に多く、ガス会社は、多数のガス本管を敷設し、メルボルン市周辺部では今もなお使用されている。メルボルンガス会社が大きな利益を上げているのを見て、新しいガス会社が市周辺部で次々と設立された。1859年に、コリンウッド、フィッツロイガス会社( Collingwood, Fitzroy and District Gas and Coke Co.,)が1859年に設立され、ノースフィッツロイ工場からガスを1861年5月から供給開始した。サウスメルボルンガス会社(South Melbourne Gas Co)は、1873年3月に設立された。
その後の4年間は各社間で厳しい価格競争が行われて、全社が赤字に陥った。1877年に3社が合併して、メトロポリタンガス会社(Metropolitan Gas Co.)が設立され、1878年元旦に操業を開始した。



 ガスの用途の中では、照明用が大部分を占めていたが、市場では1870年代にはガス炊飯器、ガス温水器、ガス暖炉などの販売が伸びてきた。1880年代の土地ブームで好景気の時期にはかなりの家庭に普及した。日本でいわゆる家電製品三種の神器は1950年代の事である。1900年頃には、ビクトリアで50のガス工場、メルボルンと周辺でも16のガス工場があった。ウェストメルボルン、ノースフィッツロイ、ウィリアムズタウン、ニューポート、、フッツクレイ、サウスメルボルン、ブランズウィック、ボックスヒル、ハイデルベルグ、リリデール、ダンデノン、ブライトン、オークレイ、メントーン、モーニントン、フランクストンである。




1870年代後半から電気式照明が出現して、世界中のガス会社を脅かした。1881年にスワンストン通りの敷地でビクトリア電気照明会社(Victorian Electric Light Co. )が電気式照明器具が展示された。電力は、ガスを燃料とした発電機によって供給された。翌年にはメルボルン電気展示会が開かれた。
1888年にメルボルン市当局は、市中部交差点の2台のガスランプを電気式に取り換えた。新型のガスランプ( Welsbach Incandescent Gas Mantle)が発明されて、ガス照明は数年を生きながらえた。

ビクトリア電気照明会社( Victorian Electric Light Co)が設立され、その後、オーストラリアン電気会社(Australian Electric Co)となり、メルボルン電気会社(Melbourne Electric Supply Co)となった。最初の本格的な発電所は、スペンサー通り発電所( Spencer Street Power Station)であった。1894年3月7日に市中央部に電力が供給された。皮肉なことにメトロポリタンガス会社が供給する石炭ガスを燃料としたボイラーで発電されたものであった。1896年にビクトリア州議会は、電気照明、発電法を制定し、それまでは野放し状態であった業界を規制した。


ビクトリア州政府は、メルボルン近郊鉄道ネットワークを1912年に統合し、翌年にニューポート鉄道発電所を建設した。第一次大戦によって遅れたが、、1919年に最初の電気列車がフリンダース駅からエッセンドン駅を走った。電気式トラムは、1906年に操業開始した。ボックスヒルードンカスター間は、1889年から1896年に週末と休暇期間中に走っていた。ガス産業も電気産業も燃料は、NSW州の瀝青炭に頼っていたが、頻発する港湾ストライキの為に不安定であった。ビクトリア州政府は、ラトローブバレーの低品位ブラウン石炭の使用を決定してモーウェル(Morwell)に石炭火力発電所の設置を決定した。この発電所は現在でも使用されており、存続をめぐって議論が続いている。



 メトロポリタンガス会社本社ビル
Metropolitan Gas Company
ビクトリアガス燃料公社本社ビル(1951年以降)
Gas and Fuel Corporation of Victoria
住所:194 Flinders Street
建築年:1892年
建築期:ビクトリアン
建築様式:ネオゴシック
設計:ジョセフリード (Reed, Smart& Tappin)
階数:7階

メトロポリタンガスカンパニー(MGC)ビルは隣のセントポール大聖堂とよく似ているが同じ建築家ジョセフ・リードが同時期に設計したことによる。

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