移転が決定して、トーマス・ワッツ&息子建築事務所(Thomas Watts and Son)の指揮の元、石材のひとつひとつに番号をつけて現在の場所に、移転した。大司教によって1914年4月19日にオープン礼拝が行われた。聖壇ー入り口の方位軸を東西から南北へ変更することや、タワーの高さを1段低くすること、礼拝堂の天井を若干、低くすること、聖殿の高さを数インチ低くすること、主回廊の間の空間を再構成して通路と回等の手すりを背後に備えたロビーと聖具室を設けたこと、などを含めて、移転の際に教会建物に変更が加えられた。ふたつの両側の入り口が新しい通路用に作られた。
内部デザインもビクトリアでは稀で独特のものであった。伝統的なひまらや杉を使ったボックス型集会席両側の回廊や当初はラトローブ総督と法務大臣が使用した副総督用ボックス席、白い大理石の鉢を持った洗礼盤は、17世紀頃の作品でテームズ川のほとりに立つセントキャサリン大修道院(St
Katherine's Abbey)に由来するものである。ふたつのマホガニー材で出来た説教席は、1847年に ladies of the congregation教団から送られたものである。著名な木彫芸術家Robert
Prenzel作の第一次大戦記念ボードと第二次大戦ボードのコピーが展示されている。東側のステンドグラス窓はメルボルンの企業Ferguson and
Urieの寄付であり、5枚の窓は、芸術家Napier Wallerの妻のChristian Wallerの寄贈である。
建築年:1842年 場所:キング 通り King Street バットマン通り(Batman
Street)との交差点。 フラッグスタッフ公園西隣 西メルボルン(West Melbourne) 地図:Google Map
設計:Robert Russell 建築時代:ジョージア期 Georgian 建築様式:コロニアル ジョージアン Colonial
Georgian, Regency Style
登録:ビクトリア州遺産 Victorian Heritage Register