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フランシスオーモンドビルディング

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2014年3月30日(日)
フランシスオーモンドビルディング
Francis Ormond building
ラトローブ通り
La Trobe Street
メルボルン Melbourne
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ラトローブ通りを州立図書館から少しラッセル通りへ登っていくと左側に美しいタワーが見える。旧フランシスオーモンドビルディングで現在はRMIT大学の1号館である。

撮影データ Canon EOS 5D 絞り優先AE 評価測光 絞りF4.0 1/2000秒 ISO感度 250 露出補正 オートJPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L USM  2014年1月16日15:12 板屋雅博 撮影


 フランシスオーモンドビルディング
Francis Ormond building
RMIT大学1号館
住所:124 Latrobe Street
建築年:1885 - 1890年
建築期:ビクトリアン
建築様式:ネオゴシック
建築目的:大学、現在の用途:大学
建築家:Terry & Oakden and Nahum Barnet Oakden, Addison and Kemp

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RMIT大学

Francis Ormond

 フランシスオーモンドビルは、RMITの前身であるメルボルン労働者大学(Melbourne's Working Men's College)の校舎として1887年にオープンした。第一期の工事は1885年から1886年にJ Mooreの設計で11000ポンドの費用でBowen Street,側に大学の講堂として建設された。現在は、
大学事務室(council chamber)、ワークショップ、教室、ケアテーカー事務室として使われている。
1883年に建築コンペが行われPercy Oakden、 Leonard Terry, Nahum Barnetのチームが一等に選ばれた。Percy Oakdenは、その後、メルボルン労働者大学の名誉建築教授となった。1890年~92年の第二期工事ではOakden Addison とKempのチームが13700ポンドの建設費で勝ち取った。第二期工事でラトローブ通り側の校舎とタワー、事務所、大学理事執務室、教授事務室、教室、実験室などが完成した。



  労働者階級の教育は1881年にスコットランドからの移民であり農業ビジネスで成功し社会貢献家、教育者であったフランシスオーモンドによって1881年に提言された。労働者大学は、フランシスオーモンドと労働組合の資金でスタートした。
オーモンドの他に、著名な知識人で植民地政府下院議員のCharles Pearsonと労働組合連合であるトレードホール事務局長のW E Murphyの3名が大学の運営に関与していた。 F A Campbell が最初の学長に選ばれた。重要な革新は単位の取得システムにあった。クラスは労働者である学生の仕事が終わる夕方から始まった。大学は、技術分野だけでなく広い分野の科目を取り入れ、女性も入学出来た。



  フランシスオーモンドビルは、非対称の3階建てでゴシックリバイバル様式であり、構造材はレンガ、表面化粧の砂岩で覆われている。
台座は、ブルーストーンが使われて、2段ほど上げられている。屋根はスレートが貼られており、煙突は砂岩で造られている。ラトローブ通りに非常に目立つファサードは、グレートオーシャンロードにあるBarrabool 産の砂岩とWaurn Pondsの石材が使われている。建物の最も特徴的な場所は、ラトローブ通り側の急な傾斜を持つ第二帝国式のマンザードルーフと鋳物のティアラを持つタワーである。



 オーモンドが亡くなった後、一般からの1200ポンドの寄付により彫像家の Percival Ball作の銅像がフランシスオーモンドビルの外側に1897年に設置された。
労働者大学は、1934年にメルボルン技術大学
(Melbourne Technical College)、1954年にロイヤルメルボルン技術大学(Royal Melbourne Technical College)、1960年にRoyal Melbourne Institute of Technology、1992年にRMIT大学の一部とり、オーストラリアの一流大学のひとつとなった。フランシスオーモンドビルは、1981年にRMIT大学1号館となった。


 





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