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ギリシャ料理店スタラクティテス

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2006年10月13日(金)へ
19時00分

Melway 1B−Q3
ラッセル通りの地図 Googole Map

ギリシャ料理店スタラクティテス『Stalactites Restauarnt』
ラッセル通り(Russel Street)とロンズデール通り(Lonsdale Street)の交差点

今日は一転してクールチェンジです。クールチェンジとは暑かった天候が突然、急降下して寒くなることを言います。メルボルン名物です。
30度の予想が、20度くらいまでしかあがらず、夕方からは完全に冬に逆戻りです。セーターやジャンパーが必要なほどに下がりました。



ギリシャ料理『Stalactites』
ロンズデール通り沿いにラッセル通りからスワンストン通り沿いには、ギリシャ人街があります。チャイナタウンやイタリア人街に比べると小さいですが、本格的なギリシャ料理の店が5−6軒ほど並んでいます。なかでもこのスタラクディテスは、人気No1の店です。7時過ぎになると超満員です。テイクアウェイコーナーも人気でいつも店の外まで並んでいます。
ギリシャの英雄マルコス バクダディスも今年1月の全豪オープンには連日、この店で夕食を食べたという話です。
全豪オープン公式web

Stalactites 公式web
週7日24時間オープン


Stalactites Restaurant
お店のオープンは、1978年ですから30年ほどの歴史を誇っています。Kontasさん一家で運営しています。
名物は、ギリシャ名物のスブラキ(Souvlaki 肉の串焼き)とムサカ(Mousaka なすとひき肉料理)

177-183 Lonsdale St
Melbourne, VIC 3000
Tel: (03) 9663-3316

yourrestaurant

The Age

席を待つお嬢さんたち。左のお嬢さんはギリシャ人でしょうか。彫りが深いようです。

ギリシャ移民は、1850年代のゴールドラッシュに始まります。ギリシャは地中海に面していて3000年前からの海運国です。ギリシャ都市国家文明時代以後、紀元前にはローマ帝国に組み込まれていました。中世は東ローマ、ビザンチン帝国の一員でした。十字軍の時代を経たあと1300年代半ばには、オスマントルコに滅ぼされてイスラム文化の下にいました。オスマントルコ帝国は、長くギリシャを占領しましたが、ナポレオン帝国後の混乱期を経てヨーロッパに近代化時期の1830年に独立を獲得しました。メルボルンが成立する1835年の5年前のことです。


まだ早い時間の店内。6時半を過ぎると一杯になって撮影できなくなるので、何回もやってきて空いている時間に撮らせてもらいました。

ギリシャ移民は、最初はイギリス船の下級船員としてメルボルンへ来ました。ゴールドラッシュで一旗あげて故郷へ戻ろうとしたのです。従って男性だけが移民してきました。1871年時点では、ギリシャ生まれの男性127名に対して女性はわずか19名です。ゴールドラッシュの後、メルボルンに定住したギリシャ人は、レストラン、カフェ、小売店で職を得ました。主にチェイン移民(Chain Immigration)と呼ばれるシステムでやって来ました。これは家族、親族などがスポンサーとなって次々と移民を呼び寄せる方法で村や部族の単位で移民してきています。
メルボルンギリシャ正教の会が1897年に組織されています。1901年にはギリシャ正教(Greek Orthodox)教会が建てられました。最初のギリシャ語の新聞は、1913年に発行されています。

キッチンコーナー。おじさん二人で忙しく働いています。ここはテイクアウェイコーナーでもあります。ここももうすこしするとお客で一杯になって撮れなくなります。

第二次世界大戦でギリシャで内戦が勃発、難民として多くの移民(16万人強)が主にメルボルンへやってきたのです。今日ではメルボルンに住むギリシャ人は、アテネに次いで二番目に多い人口となっています。メルボルンでギリシャ人が多く住む街は、Coburg, Preston, Port Melbourne, Oakleigh and Doncasterです。
イタリア料理、中華料理に続いてギリシャ料理もメルボルンを語るには欠かせません。

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