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ロンズデール通り

マイヤー エムポリウム Myer Emporium Lonsdale Street facade

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2010年7月12日(月)
マイヤー エムポリウム 
Myer Emporium Lonsdale Street facade
ロンズデール通り Lonsdale Street
メルボルン Melbourne
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メルボルンのデパートの象徴といえばマイヤー。建築の歴史の中でも貴重な存在だ。現在、バーク通り側は、正面のファサードを除いてほぼ新築されようとしている。ロンズデールビルも、その後、改築にかかる。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU絞り優先AE 評価測光 絞りF6.3 1/500秒 ISO感度 100 露出補正 AWB JPG レンズ EF 24-70 mm f/2.8L USM

 マイヤー・エンポリウムは、バーク通りからロンズデール通りまでの2ブロックを占めるオーストラリア最大のデパート。ロシア生まれのユダヤ人、シドニーマイヤーによって1911年から1934年にかけて作られた。メルボルンが誇る数多い傑作アールデコ建築の中でも最高傑作。現存する最初のビルは、バーク通り側にある1914年のものが最古。複数のビルで成り立っているが比較的新しい部分は、メルボルンの商業ビルデザイナー HW and FB Tompkinsのデザイン。ビルの谷間の横町は、 ストートンプレイス(Staughton Place), リンチプレイス(Lynch Place)、アーケードアレイ ( Arcade Alley)、アングロレーン ( Angelo Lane)。全てが最初からマイヤーの所有ではなく、段階的にマイヤーに買収された。
バーク通りビルと、ロンズデール通りは、3階と4階部分で結合されている。『Myer』という文字がイルミネーションで浮かび上がる仕組みと時計が2階部分の歩道橋の東側部分に組み込まれている。ロンズデール通りのビルの上層部の窓枠は、白色ペンキが塗られている。インテリアは、1930年代に大幅に変更されている。

 旧ロバートソン&モファットビル(Robertson & Moffat Buildings)南側 (1881-84)、と西側部分は、 Crouch & Wilsonのデザイン。東側290-292 Little Bourke Streetは、William Salwayのデザイン。北側290-292 Little Bourke ( 1890)は、William Salwayのデザイン。旧スラッタービル283 Lonsdale Street(1892)は、 Nahum Barnetによる。旧クラークビル275-281 Lonsdale Street (1892-93)も同じくNahum Barnetによる。デパートの内装は、時代と共に大幅に変更されてきたが、概観は、その歴史を伝えてきた。

ロンズデール通りとリトルバーク通りのファサードは、クラシカル様式とボーアーツの複合様式。バーク通りファサードは、インターウォー(両大戦)期のアールデコ様式。共にスノークリートと呼ばれる1930年代の新製品であった英国白色ポートランドセメントで表面舗装してある。その後は、白ペンキを塗装。

 
 シドニー・マイヤー(Simcha Baevski)は、ロシアのクリチェフ(Kritchev)に1878年に生まれた。1898年にメルボルンに移民。兄のエルコン(Elcon)と共に繊維関係のビジネスを始めた。1901年に姓をマイヤー(Myer)に改め、ベンディゴで反物の店を開いた。
1910年にマイヤーはアメリカを訪問し、デパートビジネスを目の当たりにして、多いに影響を受けている。最初のマイヤーデパートは、1911年に現在の場所であるバーク通りに店をスタート。ビジネスは、急速に発展。1914年には、マイヤー・エンポリウムを開店。


 
 1914年には圧縮空気で現金をパイプ搬送するラムゾン式現金搬送システムが取り入れられている。地下に圧縮空気の供給ステーションを設け、各フロアの壁にパイプを配管して、現金ターミナルへ空気を送り込んで、現金を輸送した。
ラムゾンシステムは、1880年代に発明されている。小型店舗用は、天井に配管するもので、大型店用は、現金ステーションを設けて壁にパイプを配管するシステム。マイヤーのシステムは、装飾したシュート、クロムメッキした真鍮、革製のバルブ、バランスギアなどからなる豪華なもの。このシステムは、現存しており、もともとは、各フロアに直結されいたが、現在では、天井の部分で切り離されている。第二現金ステーションは、バーク通り側の6階北側の端の倉庫部分に現存している。このような空気搬送システムは、当時でも希少なシステムで、ビクトリアで現存しているのは、マイヤーデパートだけである。


 マイヤーデパートの成功のひとつは、当時では革新的であったウィンドウ・ディスプレーにあった。オーナーのシドニーマイヤーは、バーク通り店のウィンドーディスプレーが顧客を引き付けていることに注目していた。雑多な商品を並べることよりも、劇場のように商品を陳列したり、モデルを使って商品を引き立たせた。新商品は、必ずウィンドー・ディスプレーに採用。1925年からは、各部門がディスプレーデザインを競うようになった。1955年に真新しいウィンドーがバーク通りに採用された。1956年のメルボルン・オリンピックの際、有名なマイヤー・クリスマス・ウィンドーがスタート。第一回は、サンタクロースとオリンピックというテーマであった。

 The Age

 Myer Redevelopment

Victorian Heritage Database 2518

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