シティ案内

今日の一枚へ

ロンズデール通り

ブラック・イーグル・ホテル Black Eagle Hotel

メルボルン百景トップ

2011年4月1日(金)
ブラック・イーグル・ホテル
Black Eagle Hotel
ロンズデール通り
Lonsdale Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

ブラックイーグルホテルは、メルボルンに残る建築物の中では、最も古い建築物のひとつ。ゴールドラッシュ以前に建設されており、ジョージアンスタイル(Colonial Georgian stye)として希少な建築物。この界隈は、リトル・ロン地区としてメルボルンの初期の頃の悪名高い貧民街で麻薬、売春など不徳が集まる場所であった。
42 - 44 Lonsdale Street,MELBOURNE
ロンズデール通り面して建っており、エキジビジョン通りとスプリング通りの中間に位置する。

メルボルンの建築物 1850年ー1859年

 1850年にWilliam Kennonによって二階建ての小売店として建設。基部は、高価なブルーストーンで作られている。建物は煉瓦作り。直ぐにホテルとして使われ1852年にホテルとしてWilliam Brandtによって登録された。
1851年にゴールドラッシュが始まり、メルボルンの人口は急増した。ゴールドラッシュ以前のメルボルンの人口は、3万人ほど。旧ブラックイーグルホテルは、ゴールドラッシュ以前の建築物として希少なもの。
1858年にオーナーのWilliam Kennonがホテルを引き継ぎ、更に息子のHugh Kennonによって1882年まで所有された。
1882年にメルボルン・ビール会社(the Melbourne Brewing and Malting Company)によって購入されている。ビール会社は、1908年に閉鎖された。

 
ブラッセル夫人の有名な売春宿としてかなりの利益を上げていた。メルボルンの初期の頃、この界隈は、シティの郊外であり、メルボルンで一番の貧民街であった。
1918年に、中国人の家具職人WH Chinnが居住。1919年に印刷業者のJoshua McClellandが購入。裏側に1階建ての印刷工場が建設された。1977年まで印刷所として営業されたが、その後工場は、解体されている。1948年に豪州連邦政府が購入し、歴史的な建築物として復元され、現在は、小売店として活用されている。
現在は、高層ビルの谷間に位置している。

  メルボルンの碁盤の目状のシティは、ホドルグリッドと云い、1837年に植民地政府のロバートホドルによって作られた。フリンダース通りからロンズデール通りまでと、スペンサー通りからスプリング通りまで。
初期の頃のメルボルンは、フリンダース駅を中心とした小規模の都市であり、メルボルン監獄がラッセル通りとビクトリア通りの交差点に置かれたことからも理解できる。
ロンズデール通り、エキジビジョン通り、スプリング通り、ラトローブ通りに囲まれたこの一角が初期の貧乏な移民が集まる貧民窟であった。リトル・ロン地区(Little Lon District)と呼ばれる。メルボルン博物館にはこの貧民地区の再現モデルが展示されている。

 

 Victorian Heritage Register PDF

 National Trust Data Base



撮影データ Canon EOS 5D
シャッター速度優先AE AIサーボ スポット測光 1/125 絞りF3.2 ISO感度 100 露出補正 ホワイトバランス オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L


このページのトップに戻る   

 

inserted by FC2 system