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2006年11月14日(火)へ

20時30分

ブリディ・オライリーズ
Bridie O'Reillys
アイリッシュパブ Irish Pub
リトルコリンズ通り Little Collins
Melway 1B-T6

今日もまた寒い一日でした。最高気温が17℃ほどです。昼間はある程度安定していましたが、夕方からはまた曇ってきて雷や稲妻が遠くてピカピカゴロゴロと不気味な感じでした。
こんな寒い夜は、アイリッシュパブで一杯やりましょう。


ブリディ・オライリーズ Bridie O'Reillysは、メルボルンではNo1のアイリッシュパブです。市内に3店舗あります。

サウスヤラ店
公式Web

メニュー
ビール、ワイン
地図

英国式パブ British Pub 象と一輪車
Elephant & Wheelbarrowも同じクループです。
62 Little Collins St Melbourne
Victoria 3000 Australia

Telephone: (03) 9650 0840
Facsimile: (03) 9650 0841
Email: bridiemelb@bigpond.com.au

ビールはタップから注ぐのがうまいのです。
アイルランドは、イギリスの北にあります。アイルランドから豪州への移民は、1915年頃までは、イギリスに続いて二番目を占めていました。メルボルンが設立された直ぐあとの、1840年頃に大飢饉(ジャガイモ飢饉)が起こり多数の人がアメリカへ移民しました。現在のアメリカ英語は、実はアイルランド英語なのです。豪州へも多数の移民が押し寄せました。1871年にはビクトリア州に住むアイルランド人の人口は10万人に達しました。当時の4人にひとりはアイルランド人だったのです。アイルランドに限りませんが、移民の一番の原因は母国における貧困です。アイルランド人は、英国にも移民しましたが英国ではひどい差別を受けたのです。(現在でも同じです。)メルボルンに移民してからは、島国の特色を生かして漁民、鯨取り、農場の手伝い、工場の労働者として働きました。少数の人々は成功して医者などの職を得ました。

イタリア、ギリシャなどの移民の多くはゴールドラッシュで一旗あげようとする若い男性が多かったのですが、アイルランド移民の特色は男女の比率が同じだという点です。
アイルランドで農奴として抑圧された人々が多く祖国を捨てるという気持ちが現れています。
メルボルンの有名なアウトロー(無法者でかつ英雄)のネッドケリー(Ned Kelly)もアイルランド移民の両親のもとに生まれました。

しかし第一次大戦の終了後、アイルランド移民は急速に減少します。2001年の国勢調査ではアイルランド生まれの移民は、わずか11000人となっています。
しかし今でもメルボルンのいたるところに存在するアイリッシュパブに見られるようにアイルランド移民の文化はメルボルンに溶け込んでいます。(移民博物館より)


メルボルンの男性はスポーツが大好きです。パブで一杯やりながらのスポーツ談義は格別です。夏場のスポーツといえば、もちろんクリケットです。メルボルンとクリケットの関係は非常に古くメルボルンが設立された3年後には早くもメルボルン クリケット クラブが設立されています。

豪州におけるクリケットのメッカといえば
メルボルン クリケット グラウンド(MCG)
です。MCGは、オージーフットボールのグランドファイナル(決勝戦)が行われることでも有名です。

しんしんとと冷え込むメルボルンの夏です。
フリース2枚にジャンパーを着てちょうどいいほどの寒さです。
明日は、なんと最高気温15℃ということです。更に寒くなるのです。
でも今週末には30度まで上がるという天気予報です。今晩の状況からするととても信じられませんが。

リトルコリンズ通りの北の端、スプリング通り(Spring Street)とエキジビジョン通り(Exhibision Street)の間のビルの谷間にあります。

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