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メルボルン治安判事裁判所 Magistrates Court

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メルボルンの裁判所

最高裁の歴史

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2023年9月17日(日)  responsive版
メルボルン治安判事裁判所
Magistrates Court
ラッセル通り Russel Street
メルボルン Melbourne
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治安判事裁判所は、略式犯罪および裁判可能ないずれかの問題に関する問題を審理する下級裁判所である。

撮影データ Canon EOS 5D MarkⅡ 絞り優先AE 評価測光 1/100 F7.1 ISO感度 125 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM 2022年8月19日14:05 板屋雅博撮影



  旧治安判事裁判所(Magistrates Court)は、1911年から13年にかけて、ビクトリア州公共建築局の建築家ジョージ・BH・オーストン(George B H Austin)が設計し、スワンソン兄弟会社(Swanson Brothers)によって建築された。2階建ての建屋は岩石風ベーツフォード産石灰岩(rock-faced Batesford limestone)の基底部、台座の上に建築された。石灰岩で表装した煉瓦を外装材として、ギップスランド産の大理石、内装材はブラックウッドなどを使用している。屋根材は、スレート、波打ち鋼材などである。


 初期の最高裁判所の場所に建築され、この建物は、以前の最高裁の部材を使用している。判事のレッドモンド・バリー(Redmond Barry)が1880年のネッド・ケリー(Ned Kelly9の裁判の際に座った座席の上部についていたゴシック式天蓋(Gothic canopy)などである。建築様式は、ノーマン様式(Norman)であり、別名として知られているのは、フレンチ・ロマネスク(French Romanesque)である。
正面ファサードは、切妻屋根(gables)、タワー、小塔(turrets)、アーチ( arches)などで構成されている。メインの入り口は、ラッセル通りとラトローブ通りの交差点に面している。入り組んだ左右対称形(symmetrical essay)がタワーとしてノーマン式を表している。



  銅が被された小塔群と上部が半円形の窓が5つの入れ子(nested)になった垂直材(jambドアまたは窓枠の垂直側材からなる)シャフト(shafts)ずんぐりした(squat)ロマネスク様式の柱で構成されている。拡張された階段(spreading staircase)は、玄武岩(basalt stone)で出来ている。メイン入り口の小部屋(vestibul)は、大理石製階段の上にドラム状(drum )に立ち上がっている。3つの主要裁判室は、ハンマービーム屋根を持っており、壁のパネル、被告席(docks)、ベンチにはノルマン式詳細が施されている。



メルボルンの人々が小さないざこざ( resolve minor disputes.)を解決する都市の調停役(arbitrator)として、ビクトリアでは最高裁を1836年から設置してきた。ウィリアム・ロンズデール大佐は、、NSW植民地政府に警察裁判所判事(police magistrate)に1836年に指名された。最初の事件は現在のサザンクロス駅の近くでヒアリングが行われた。1838年に三番目の裁判所である小治安裁判所(Court of Petty Sessions)が設置された。ビクトリア全体の235箇所で三つの全ての裁判所が開かれた。

 前メルボルン治安判事裁判所(Magistrates' Court)は、メルボルン都市裁判所、地方裁判所の最初の裁判所であり、臨時裁判所(emergency court)でもあった。フレンチロマネスク様式の建物である。1914年1月20日に新しいメルボルン裁判所がラッセル通りにオープンした。1995年にウィリアム通りに、新しい治安判事裁判所が出来るまで、81年間、裁判所として活躍した。フィリップ・ブラスキJP(Phillip Blashki JP)が最初のメルボルン裁判所長官となった。当時の連邦政府首相アルフレッド・ディーキン(Alfred Deakin)は、ブラスキが70歳で引退した時に裁判所の判事30名のサイン入りの記念証書(illuminated address)を送った。
JP:justice of the peace 治安判事

hear 審問する、聴取する



 警察判事は、小治安裁判所での裁判官を務める事も出来るが、通常は2-3名の治安判事が裁判官を務めた。小治安裁判所は、20ポンド以下の小案件は、飲酒や小規模な犯罪などの刑事事件を扱った。

著名な事件(Notable trials)としては、スクイジー・テイラーの事件がある。それまでの裁判所は、同じ場所に1843年からあった。 メルボルン治安判事裁判所は、ノルマン式とフレンチロマネスク様式をと採用しているが、これは司法裁判所に相応しいとして取り入れられた。ロマネスクの純粋なノルマンリバイバル様式は英国の伝統的な司法建築に源を発し、19世紀後半に開発された米国の建築家 HH Richardsonのアメリカンロマネスク(American Romanesque)と強く対照される。

 最初の最高裁判事ジョン・ワルポール・ウィルス(John Walpole Willis)は1841年3月にNSW植民地からメルボルンに派遣され、臨時の裁判所がキング通りとバーク通りの角地の政府店舗で同年4月12日にオープンした。死刑を含む重大な刑事事件の審問が行われた。後継者の William Jeffcott やRoger Therryは、倒産などの人事事件(commercial matters)、契約書、遺言(probate)など多くの事件を裁判を行った。
1843年にラトローブ通りとラッセル通りの角に新しい刑務所の隣に最高裁が建設され、1994年まで運営された。

最高裁での審理事件
ユーレカの氾濫(1855年)
ネッドケリー事件(1855年)

最高裁の多くの家具や内装品は治安判事裁判所に移設されている。

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