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バットマンズヒル Batman's Hill

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2013年7月7日(日)
バットマンズヒル Batman's Hill
スペンサー通り Spencer Street
メルボルン Melbourne
この場所の地図 Google Map

コリンズ通りとスペンサー通りの交差点はかつて小高い丘があった。現在でも丘はある程度残っているが、この場所をバットマンズヒルと云う。正面のホテルは、Batman's Hill on the Collinsと云う名前でかつての場所を表している。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/400 F6.3 ISO感度 100 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月16日15:31 板屋雅博撮影

バットマンズヒルは、メルボルンの建設者のひとりジョン・バットマンに由来している。現在は取り除かれたが18mほどの丘がかつて存在した。丘の上には一時期、製鉄所も在った。1836年4月にジョンバットマンと家族が住む家が建てられた。ジョンバットマンが亡くなった1839年まで在ったが、同年に家族は引っ越して、その家はビクトリア植民地政府が使用した。1837年にメルボルンの市街地を決めるホドルグリッドが施行された際には、バットマンヒルはシティの西端と定められた。
ホドルグリッドを作成したロバート・ホドル監督官は、バットマンズヒルを地籍測量の際の測量基準点として使用していた。

バットマンズヒルホテル Batman's Hill Hotel
1920年代のホテル シカゴ派 パラッティオ様式と思われる

 当時はシティの郊外に当たり、各種の行事にも使用されている。1839年、メルボルンの最初の競馬がバットマンヒルの西側で行われ、バットマンズヒルの斜面は格好の観客席として使われた。その後、丘の上に航海用のリーディングライトが設置されたり、病院が置かれたりしている。メルボルンクリケットクラブの創設者によって最初のクリケットの試合が行われた。現在のヤラパークにあるMCGの前身が建設されたのは1854年であり、それまではバットマンズヒルの西側が各種の市民の娯楽の地として使われていた。

左側の超高層ビルは、533コリンズ。
533コリンズ(メルボルン百景)


 1847年にバットマンズヒルの西側斜面は政府が購入して、火薬工廠が建てられた。斜面の底地には、皮のなめし工場と、鋳物工場が作られ、重工業工場地として使われるようになった。1853年にビクトリア植民地政府はメルボルンからエチューカへの鉄道建設を決定し、メルボルン-マウントアレキサンダー-マレー川鉄道会社(MMAM)が作られた。バットマンズヒルの東側に鉄道駅の建設も決定された。1856年にMMAMを合併して、ビクトリア鉄道を設置した。

ビクトリアン鉄道本社ビル(メルボルン百景)

鉄道駅は、スペンサー通りに1858年に設置され、スペンサーストリート駅となった。ビクトリア植民地各地への鉄道網が広がるにつれて、スペンサー通駅の倉庫群が1863年頃から増え始めた。そのためバットマンズヒルの撤去が決定され1866年中ごろに工事は完了した。

  スペンサー通り駅はサザンクロス駅と改名され、現在はメルボルン第一の駅となりバットマンズヒルの大部分を占めている。コリンズ通りをドックランズと結ぶコリンズ通り橋(Collins Street Bridge)が2002年に完成した。コリンズ通り橋は、かつてのバットマンズヒルの形状を表している。

スペンサー通りは、フリンダース通りとの交差点からコリンズ通りまでがかなり急こう配になっている。これがバットマンズヒルだ。

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