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スペンサー通り火力発電所

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2015年4月11日(土)
スペンサー通り火力発電所
Spencer Street Power Station
スペンサー通り Spencer Stと
ロンズデール通り Lonsdale Stの交差点
メルボルン Melbourne
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スペンサー通り火力発電所は、メルボルンの火力発電所であり1892年から1982年までの100年間、操業され、2006年に解体された。建物の
一部は記念として保存されている。筆者がメルボルン住んでいた頃は煙突が立っていた。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/500 F6.3 ISO感度 100 オート 露出補正-1/3 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2015年1月24日15:19 板屋雅博撮影

wikipedia

スペンサー通発電所は、メルボルンへの電力供給の目的でメルボルン市当局によって建設された。設計はアーサー・ジェームズ・アーノット(Arthur James Arnot)が設計し、かつ1894年から1901年まではアーノットが市当局の命を受けて運営した。
最初の発電設備は、24台のGE(ゼネラルエレクトリック)製直流発電機が4つのグループに分かれて設置された。各発電機は300馬力オーストラル・オースチン(Austral-Otis)製水平複合低速蒸気エンジンによってベルト駆動された。出力電圧は直流3KVであり、電力は主にメルボルン市内の街灯、トラムの駆動用、シティのビルのエレベーター用として使われた。駆動用の蒸気は4台のバブコック・ウィルコックス製出力重量(w/t)ボイラーから供給された。1897年4台のGE製75KW交流発電機が設置された。これらは現在でも使用されているベルト駆動式である。出力は72ヘルツ2KVであった。

 メルボルンに最初に街路灯が灯ったのは1849年のことで石炭から作り出されたガスによるガス灯であった。それから半世紀1900年頃までは石炭生成ガスによるガスエネルギー全盛の時代であった。詳細は下記を参照。
コリンズ通りの最後のガス灯(メルボルン百景)

1881年にビクトリア電灯会社(the Victorian Electric light Co.,)が設立。最初の電灯が展示された。電力は、石炭ガスを熱源とした発電機が使われた。ガス灯と同様に最初の電灯はスワンストン通りに設置された。ビクトリア電灯会社は、その後、オーストラリア電気会社になった。多くの小規模発電が乱立していたが、最初の中央発電所による本格的な電力供給が始まったのはスペンサー通り発電所である。CBD(メルボルンシティ)に最初に電力供給が始まったのは1894年3月7日である。皮肉なことだが、メトロポリタンガス会社が供給する石炭ガスを熱源としてボイラーを沸かして電気が発電された。

 1896年ビクトリア植民地議会は電灯電力法を制定し、それまでは無秩序に乱立していた私有電力業界に州法が施工された。ビクトリア州政府は1912年にメルボルン郊外電車ネットワークの電化を決定し、1913年にニューポート鉄道発電所の建設を
開始したが、第一次世界大戦のため完成したのは1919年であった。最初の電車は同年にフリンダース駅からエッセンドン駅まで走った。最初の電気式トラムは1906年に始まった。小規模の電気式トラムはボックスヒルからドンカスターまで1889年から1896年まで運行されたが、週末とホリデーシーズンのみのものであった。メルボルンのケーブルトラムは非常に良いシステムで電化の必要性が少なかったので1940年まで継続した。

 1900年頃、成熟したガス産業と新興の電力産業は共にNSW州からの石炭にエネルギー源としていたが、多発する鉱山や港湾のストライキの影響で石炭の供給が非常に不安定であった。1917年に州政府石炭諮問委員会が作られ、ビクトリア州ラトローブバレーの低品位褐炭を使用するヤローン(Yallourn)地区モウェル(Morwell)に発電所を建設した。ビクトリア州電気委員会(State Electricity Commission of Victoria SECV) が設置されサージョンモナッシュが最初の会長となった。

旧ビクトリア州電力局ビル(メルボルン百景)

1894年の電力供給開始後すぐに電力需要は多方面に拡大し発電設備の拡大は急務となった。タービン室とボイラー室は第一次大戦までに何度も拡張された。1907年には角地にあった工場長住居と事務所は煙突と石炭貯蔵所に変えられた。最初の煙突は1970年代に解体されウィリアムズタウン鉄道ミュージアムに復元されている。

  1941年からスペンサー通発電所は、SECVが運営し、1960年代には109メガワットへ順次拡張された。しかしラトローブバレーに発電所が建設されが為にスペンサー通発電所は、ピーク時の補助電源となった。都市部の空気汚染防止の点などから1982年で100年の歴史に終止符を打った。

1950年代に建設されランドマークでもあった煙突も含めスペンサー通発電所は、アスベストを取り除いた後、2008年4月に解体された。

 The Age


 メルボルンの電灯の歴史


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 wikipediaより  2007年 







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