シティ案内

今日の一枚へ

スワンストン通り北部

フランクリン通り

シティバス City Baths

メルボルン百景トップ

2013年5月8日(水)
シティバス City Baths
スワンストン通りとフランクリン通り
Swanston Street and Franklin Street
メルボルン Melbourne
この地区の地図Googole Map

スワンストン通りとビクトリア通りの交差点に巨大な建築物がある。100年を越える歴史を持つ水泳プール、シティバスである。その設立には意外な理由があった。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/640 F8.0 ISO感度 400 太陽光 露出補正 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2013年1月18日10:22 板屋雅博撮影


シティバス City Baths
住所:420 Swanston Street
建設:1903年
用途:公営スイミングプールと施設
現在の用途:民間スイミングプールとジム
階層:3階
建築期:エドワーディアン
建築様式:アールヌーボー
建築家:J.J. Clark
特徴:多色レンガ、スワンストン通りを南に下った場所にあるクイーンビクトリア病院と同様のドームを持っている。従来の古典的な様式にとらわれない各様式のミックス、フリースタイル。

 メルボルン最初のシティバスは、メルボルン市当局によって1860年1月9日にオープンしている。このシティバスは、公衆浴場であった。それまでは自宅に風呂があるのは一部の富裕層のみで、一般の市民は市内を流れるヤラ川やメルボルン湾で週に一度程度で体を洗っていた。まだメルボルンの人口が3万人以下であった1840年代はまだしもゴールドラッシュが始まった1850年代には30万人に数年で10倍に膨れ上がり、ヤラ川も汚染が目立ち始め公衆衛生上、非常に問題になっていた。実際に腸チフスが流行して多くの死者が出た。市当局の役人 Sizar Elliottは公衆浴場と公衆トイレを作ることに積極的に動き、当時のシティの直ぐ外側のスワンストン通り、フランクリン通り、ビクトリア通りの三角形の土地が選ばれた。シティバスは、1860年1月9日にオープンした。大勢の市民が詰めかけ最初の年には男性79,096名、女性2,950名が利用している。


 財政的な理由により、市当局はシティバスを民間にリースで貸し出したが、民間ではメンテナンス費用をねん出することが出来ず、施設は老朽化し1899年に閉鎖された。1901年にメルボルンは豪州連邦の首都になった。市当局は同じ場所でのシティバスの再建を決定し、建設コンペを行った。
一等となったのは、メルボルンの著名建築家のJohn James Clark。州首相の Thomas Bentの出席の下、市長のSir Malcolm D McEacharnによって1904年3月23日に式典が行われた。
当時の世相を反映したデザインが特徴的である。エントランスやプールなどの全ての施設が男女別になっており、上流階級は上のプール、一般階級は下のプールと階級別の構造であった。
ふたつの水泳プール、16の水浴式プール、6のシャワー室などがあった。またトルコ式バス、サウナ、ユダヤ人儀式用バス、洗濯室などもあった。(現在はジムなどになっている。)

 男女が一緒に使う水泳プールは、1947年に導入された。その頃から水泳人口が増えてきている。1956年のメルボルンオリンピックでの豪州水泳チームの活躍によって水泳人口は爆発的に増えて、シティバスの利用者は年間30万人と激増した。シティバスは、メルボルンオリンピック会場に予定はされたが、実際には施設の老朽化により使用はされなかった。

City of Melbourne

右側はビクトリア通り、左側はフランクリン通り。この場所はシティバスの三角形の頂点。三角形の建物でありかなり設計は難しかったと思われる。内部鋼構造も複雑。

 
 Walking Melbourne

 シティバス公式ページ

 背後の建物はRMIT大学シティキャンパス。

このページのトップへ


inserted by FC2 system