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Tramway Signal Cabin トラム信号駅舎

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2016年4月3日(日)
トラム信号駅舎
Tramway Signal Cabin
スワンストン通り Swanston Street
メルボルン Melbourne
この地区の地図Googole Map

スワンストン通りの北側はずれにあるシティバスの直ぐ前にトラム信号駅舎がある。ケーブルトラムから電気式トラムの時代になり、メルボルンの発展に伴って運用されるトラムの数が激増した時代に設置された信号所である。オーストラリアで唯一現存するトラム信号駅舎だ。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 1/400 F6.3 ISO感度 100 くもり 露出補正 +2/3 JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM
2016年1月23日15:23 板屋雅博撮影


この施設は、メルボルントラムの軌道電気信号駅舎であり顧客待機場所であり、またトラム従業員の休息所として1928年に建設された。設計は、メルボルン都市トラム会社( Melbourne and Metropolitan Tramways Board)の主任設計者アラン・モンスボー(Alan G Monsbourgh)である。メルボルンのトラムは、以前は道路の地下にワイヤを通し、市内数か所に設置されたエンジンハウスで石炭を熱源にしてワイヤーで駆動するケーブルトラムであった。1910年以降、徐々に電化され、トラム信号駅舎は、スワンストン通りとセントキルダ通りのトラムが電化された直後に建設された。メルボルンの南部地区の人口の増加に伴い南部地区からのトラム数が大幅に増え、その為の信号をコントロールする為とトラムの分岐ポイントとして建設された。

  トラム信号駅舎には当初、北側には女子トイレがあり、南側には屋根付きの旅客待合場所と乗務員用の小さな売店とトイレがあった。2階部分にはバルコニー付きの信号機械を設置した専用小部屋があり、はしごで2階に上がるようになっていた。
構造はコンクリート製で表面には化粧煉瓦を貼っており、屋根には陶器タイルが葺かれている。両サイドの対候用屋根や鉄製の手すりは後年に追加設置されたものである。インターロッキング(安全装置付き)信号制御装置は米ニューヨークのジェネラル鉄道信号会社(General Railway Signal Company)から輸入した。トラム信号駅舎は1991年に運用を停止した。

インターロック (安全技術)Wikipedia

 トラム信号駅舎は、トラムの運行を制御する信号専用駅舎としてオーストラリアで現存する唯一の産業遺産であり非常に重要なものである。2階建てというのもトラム通行数が多いことを意味しており、珍しいものである。
メルボルンの電気式トラムの発展や歴史を知る上でも貴重なものである。

アラン・モンスボー(ホーソントラムデポ)


 Onmydoorstep

 メルボルン都市トラム会社(MMTB: Melbourne and Metropolitan Tramways Board)の主任設計者アラン・モンスボーは、電気式トラムが急拡大した1920から30年代に活躍した。モンスボーは信号ボックスや変電所からトラムデポ(駐機場)や修理作業工場まで膨大な作品群を設計している。モンスボーはビクトリア植民地が繁栄した1888年にバララットの富裕な家族に生まれた。バララットのグレンビルカレッジで学んだ後、1903年から3年間、南アのトランスバール大学で建築を学んだ。南アで公共建築物や教会を設計した後、1909年に王立英国建築協会の論文試験に合格して、1911年に会員となった。1914年にメルボルンに戻り、1920年頃にMMTBに新たに設計部門が出来た際に就職し、1926年に設計主任になったが、残念なことに1938年に突然死した。

モンスボーは、1920年代半ばにたくさんの作品を設計しているが、トラムデポや中規模の変電所などの産業用建築物に適したギリシャリバイバル様式を主に使った。キャンバーウェルトラムデポやプレストン修理作業工場事務所棟におけるギリシャ様式の柱などはギリシャ様式がはっきり出ている。モンスボーの良く知られている作品はワットルパークのシャレー建物である。シャレー建物は英国の建築家でニューデリーの都市設計で知られるサー・エドウィン・ランドシーア・ラッチェンに倣った英国国内様式で設計しており、解体されたケーブルトラムエンジンハウスの廃材を利用して作られている。
ワットルパークシャレー公式Web

トラム信号駅舎から西側のビクトリアマーケット方面


 キューのフェロー通り1番地にビクトリア様式で自宅を建てたが、メルボルン近郊の牧歌的なダンデノンレンジズ丘陵のカロラマ地区に23エーカーの広大な土地を購入した。1932年にモンスボーは休日用の自宅を設計して建築したが、1940年に家族よって分割されて売却された。
モンスボーの晩年の主要作品はモンスボーが他界するまでには完成しなかったMMTB本社ビル(リトルコリンズ通り616番地)である。ギリシャリバイバル様式ではなく1930年代に流行したモダン様式の作品である。57000ポンドの資金で建設され、1983年にメルボルン交通局(Metropolitan Transit Authority)に吸収されるまでMMTB本社として使用された。

トラム信号駅舎から南のフリンダース駅方面


 有名な公共建築物建築家として数多くの作品がビクトリア州遺産に登録されている。

グレンハントリートラムデポ (1924)
プレストン修理工場 (1924-28)
アスコットベールトラム用変電所 (1925)
キャンバーウェルトラム用変電所 (1925)
カールトントラム用変電所 (1925)
サウスメルボルントラムデポ (1925) 解体。
ウィンザートラム用変電所 (1925)
ディープデーン(Deepdene )変電所 (1925)
サウスヤラトラム用変電所 (1927)
ワットルパークのシャレー (1928)
マルバーントラムデポ (1929)
キャンバーウェルトラムデポ (1930)


  ワットルパークのコテージ (1932)
カロラマの自宅 (1932)
 ビクトリア大通りとブランズウィック通り交差点のトラム待合所(1933)
ブランズウィック シドニー通りのトラムデポ (1935)
ポートメルボルンのバスガレージ正面ファサード (1935)
MMTB本社ビル(リトルコリンズ通り616番地)

プレストン修理工場
事務所棟と食堂
1924-28.

  カールトン変電所  1925.



 Signal box, Franklin and Swanston Streets, late 1920s.

 ブランズウィックトラムデポ
事務所と商店街
1935.
電線がまだ設置されていない時代の画像


 ポートメルボルンバス駐車場 1937年
ポートメルボルンケーブルトラムデポの正面ファサード


 MMTB本社ビル(リトルコリンズ通り616番地) 1937年
写真は化粧装飾が施される前の画像
2010年にアパートに改造された。

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