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アベケット通り

アベケット通りの倉庫 Warehouse A'Beckett Streetと水圧動力

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2015年5月16日(土)
アベケット通りの倉庫
Warehouse A'Beckett Street
メルボルン Melbourne
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ビクトリアマーケットにほど近いアベケット通りに目立たない1850年代の商品倉庫がある。資本力の象徴であった商品倉庫には当時の技術的な最先端をゆく水圧式リフト(エレベーター)が備え付けてあった。電力がまだ無い時代の水圧エレベーターは驚異的である。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU 絞り優先AE 評価測光 絞り6.3 1/320秒 ISO感度 100 露出補正 オート PG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2015年1月24日

Onmydoorstep

アベケット通り61-69番地の倉庫は1870年から71年に建設された。施主はマックルア・バレンタイン会社(McClure, Valantine & Co)で食料品やワイン、酒類の卸売業者で、1850年代からアベケット通りでビジネスを展開していた。1850年から1900年にかけてメルボルンはゴールドラッシュをベースにして驚異的な成長を遂げ、オーストラリアの商業の中心地となった。数多くの倉庫がメルボルンの中心地や郊外に作られ、原料や製品の加工、分配、配送、輸出などが倉庫を起点にして行われた。つまり倉庫はメルボルンの商業の基盤であった。現代とは違って、当時のメルボルンでは倉庫は権威の象徴であり、大企業や資産家だけが保有することができが出来た。倉庫の設計はしばしば有名な建築家が設計したが、この倉庫を設計した建築家は判明していない。



 メルボルンの商業倉庫は1850年代から1860年代は主に地元産のブルーストーンを使ったが、1860年代からは高品質の高温焼成煉瓦が使用可能になったために多用された。倉庫に限らずあらゆるタイプの建築物で高品質煉瓦が多用された。多彩色煉瓦もビクトリアで生産されるようになり、いろんな建物で見られるようになった。
アベケット通り倉庫の内部には水圧式リフト(エレベーター)があり1階と2階の間で商品等の移動につい最近まで使用されていた。この水圧式リフトは19世紀に使用されたもので豪州で現存する唯一の遺物である。市内に供給されていた水道の水圧を動力としいた。水道は倉庫が建設さえてから倉庫に供給されていたものである。注目したいのは
電気がまだ供給されていない時代であったが、水道が供給されており、水道を使った水圧式リフトがあった点である。あらゆる手段で近代化を進めていた。



  アベケット通り倉庫は2階建てで左右対称の設計で、建材は手作りの煉瓦を使用している。エントランスの上部の塗装された欄干や湾曲した切り妻屋根、入口ドアの上部の2色の石造りのアーチ、窓の開閉部などが特徴的である。建設当初は1階と2階にはには作業用のオープンスペースがあった。2階部は材木製の桁の補強材として鋳物鉄で出来た柱が使用されていた。2階には木製のトラス桁と木材を渡した天井があった。アベケット通り倉庫は建築当時をほとんどそのままに残している。入口の輸送車両用のドアは金属製に取り換えられている。開口部のひとつは部分的に煉瓦を積んで窓に変えられた。1940年代に北西角の材木製の階段は強化コンクリートに変えられている。



  水圧式リフトは内径約18インチ、ストローク5インチの垂直水圧シリンダーを持ち、ふたつの材木製の台座に設置されていた。ピストンロッドはプーリーに取り付けられていて、4つのケーブルの束があった。。シリンダーは倉庫の後ろ側の壁に設置してあった。ケーブルはリフトの天井を横切って走っていた。リフトの天井部は1.6mx1.6mの大きさがあった。それとは別に1本のケーブルがリフトから調整バルブまで出ていて、これはリフトの中からコントロールするためであった。残念ながら製造メーカーの名前を示すような銘板は部品のなどにも残っていない。水圧式リフトの当初に作られた鋳物と木材は現在でも使用可能である。ボルトやナット類は最近でも取り換えられている。水圧シリンダーの水流パイプも取り換えられた模様である。



 アベケット通り倉庫はメルボルンで使われた水圧式リフトの典型的な実例であり、1889年に設立されたメルボルン水圧動力会社(Melbourne Hydraulic Power Company)よりも以前に導入されている。メルボルンに一般に電力供給が始まったのは1894年のことなのでアベケット通り倉庫のリフトはまったく電気を使わないものであった。
純粋な水圧だけで商品や人々を持ち上げるという技術革新を具現化するものであった。アベケット通り倉庫のリフトは現在でも使用可能であることは驚くべきことである。より高層ビルでもエレベーターが可能となり1889年に水圧動力機械の販売が始まった。なお英国ロンドンで始まったのは1883年のことでありメルボルンでは6年後に始まっている。メルボルン水圧動力会社の技術課長はGeorge Swinburneであった。
右側の下の白い建物は筆者がメルボルンで泊まっているホテルである。

Wikipedia

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