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バララット

ユーレカの反乱 Eureka Rebellion

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2012年9月30日(日)
ユーレカの反乱 Eureka Rebellion
ユーレカ集積所の戦い Eureka Stockade
バララット Ballarat
ビクトリア Victoria
この場所の地図 Google Map

ゴールドラッシュの最盛期1854年に、バララットで起こった金鉱山鉱夫による反乱は、その後のオーストラリアの民主化に大きく貢献し、ユーレカの精神は、オーストラリアの魂とも呼ばれている。ユーレカの十字は、今でもバララットを象徴する記章である。

撮影データ Canon EOS 5D シャッター速度優先AE 評価測光 絞り 4.0 1/2500秒 ISO感度100 露出補正 オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2011年2月1日 

 ユーレカは、バララット市内の東側(メルボルンより)のサバーブにある。1851年にゴールドラッシュが始まったが、ユーレカ鉱床(Eureka Lead)と呼ばれる場所があった。後にユーレカ集積所(Eureka Stockade)と呼ばれる。1854年12月3日にオーストラリア駐在英国陸軍と金鉱山鉱夫との間で、衝突が起こり、鉱夫22名が亡くなった。ビクトリア植民地における最大の反乱となった。
この背景には、植民地政府が鉱夫たちに大きな税金を課してはいたが、鉱夫たちの自治権を認めず、土地の購入も許さなかったことにある。
バララットのゴールドラッシュは、トーマス・ヒスコック(Thomas Hiscock)が1851年8月2日にヒスコック小峡谷と呼ばれる場所で金鉱脈を発見したことに始まる。8月19日には、バララットのいくつかの場所でも金鉱脈が発見された。またキャッスルメインなど他の場所でも金鉱山が発見された。

 ビクトリアのゴールドラッシュは、瞬く間に世界中に知れ渡り、英国本国、アイルランドから中国まで多くの移民がビクトリアへ押し寄せた。わずか数千人の人口であったバララットは、数か月で2万人に膨れ上がり、最盛期には6万人の金鉱夫が至るところを掘りまくった。移民のほとんどが貧乏な男性であり、病院、住宅などもほとんどないことから生活環境は極めて悪く、悲惨な状態であった。金だけは豊富にあり、メルボルンなどから酒などは大量に輸入されていた。酒による暴力事件も多発している。
1851年11月にメルボルンの植民地政府は、翌年1月1日より、金採掘ライセンス費を1ポンドから3ポンドに3倍に増やすと発表した。バララットに限らず金鉱山地区全体の金鉱夫に反対運動が始まり、一部では武器を取ったものもあった。恐れをなした政府は、一度は増税の発表を取り消したが、その後も政府による多くの規制が金鉱山地区の鉱夫に広範囲な反対運動が起こった。1853年には、金鉱山法(Goldfields Act)が成立している。
 
 バララットの鉱夫は、増税や禁酒法に非常に反発を強めていた。
1854年10月6日に、スコットランド人ジェームズ・スコビーが、ユーレカホテルで殺害され、数千人の金鉱夫がホテルに押し寄せた。植民地政府軍が、鉱夫たちを抑え込もうとしたが、反対に鉱夫たちは、鉱夫の権利同盟を結成して、軍と対立した。11月11日に、1万人を越える鉱夫が、ベーカリーヒルに集まり、バララット改革同盟を結成した。反乱派のリーダーには、英国やアイルランドでの民主化運動に参加した経験者も含まれ、その精神を憲章に生かしている。基本的な考えは、課税されるものは代表を送る権利があるとことで、アメリカ独立と同じである。政府軍は、増援軍がメルボルンから派遣され、12000名となった反乱軍と対立した。

ユーレカの記念碑
戦闘で亡くなった方々の名前が刻まれている。


 反乱軍は、カナダからの移民鉱夫ヘンリーロスが考案したユーレカの十字旗を掲げた。この旗は、カナダからの移民した3人の女性によって縫われ、1854年11月29日午後2時にベーカリーヒルに翻った。生地はシルク、生地の色は青、大きなシルバーの十字が書いてあり、星は、南十字星を表している。反乱の後、ユーレカの旗は、植民地時代のオーストラリアの民主化の象徴となった。

反乱軍は、アイルランド人の鉱夫が中心であったが、米国カリフォルニアのゴールドラッシュの鉱夫も200名ほど交じっており、米国製の拳銃などで武装していた。12月3日午前3時に、276名の政府軍が発砲して戦闘が開始された。どちら側が先に発砲したかは定かではないが、非常に激しい銃撃戦であった。反乱軍には女性も参加しており戦闘にも加わっている。


  現在、ユーレカの地には、ユーレカセンター記念館が立っており、バララットのツーリストインフォメーションセンターにもなっている。

ユーレカセンター
104 Stawell Street South Eureka

ツーリストインフォメーション
43 Lydiard St North

メルボルンにある南半球で一番高いユーレカタワーは、ユーレカの反乱を記念したもの。

ユーレカタワー

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