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キャッスルメイン

GPO、電信局 キャッスルメイン

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2013年10月27日(日)
GPO、電信局
キャッスルメイン
Castlemaine
ビクトリア Victoria
この場所の地図

キャッスルメインは、1851年からのゴールドラッシュで最も栄えた町のひとつでメルボルンの経済、歴史のも大きな影響を及ぼした。ゴールドラッシュが始まった1850年代にはまだ電気がなく、もちろん電話や電信さえもなかった。その当時、メルボルンや英国などと連絡を取る唯一の方法は手紙であった。船が使える港町メルボルンと違い内陸の町キャッスルメインでは郵便馬車による通信が唯一の通信手段であった。

撮影データ Canon EOS 5D MarkU絞り優先AE 評価測光 絞りF10.0 1/250秒 ISO感度 100 露出補正 AWB JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L USM


GPO 中央郵便局
キャッスルメインの中央郵便局は1852年3月1日に開設された。当時の町の名前は、フォレストクリーク(Forrest Creek)であり、1854年1月1日に伽するメイン郵便局と改名されている。
メルボルンのアーガス紙の記者は、ゴールドラッシュで急速に発展しつつあるフォレストクリークの町とカイネトンの町のどこかに郵便局を作るべきであるとの記事を1851年に記事にしている。
同記事では、フォレストクリークと近隣のベーカー(Barker)のふたつの町では、少なくとも8000名の金鉱夫や関係者が多くの店舗を作り、許可を取得した屋台などのビジネスを開始していると書いている。
郵便局の開設は金鉱夫や関係者には最も重要な課題であり、私設の郵便局がフォレストクリークに1851年に開設されたともある。

 電信局は1857年に開設。同時期に鉄道サンドハースト線の、サンドハースト、カイネトン、ギズボーンの4つの町に電信局が開設されている。このレンガ造りの建物は最初の政府の主要建築物であり、1875年7月5日まで電信局として利用され、その後は新しい電信局に機材とも移動した。
この建物は、ビクトリア植民地公共建設局Charles Pasleyの設計で、現地の建設会社Campbell and Thompsonが請け負った。石材を主材料にして、スレート屋根の二階建てで、1階のウィングを両側に持つ構造であった。北側のウィングは1860年代に付け加えられた。1891年からこの建物は、キャッスルメイン開発者協会(Castlemaine Pioneers and Old Residents Association)にクラブハウスとしてほぼ無料で貸し出された。このクラブではメンバーに資金を貸し出したり、メンバーの福祉、キャッスルメインの歴史保護などで活躍した。

カイネトン
 
 Faulder Watson Hall 1895
1893年に同協会は、この地を政府より買い取り、建物の北側部分を取り壊して、新しいホールを建設した。礎石は、1893年に篤志家のCharlotte Watson婦人によって置かれた。このホールは、キャッスルメインの最初の開拓者のひとりでインペリアルホテルの経営者で夫のFaulder Watsonを記念するために、250ポンドが寄付された。

電信局は、ワトソンホールは、一体化され、キッチンや博物館として利用されている。電信局は、初期の金鉱山地区(ゴールドフィールド)の政府建築物の重要な遺跡である。キャッスルメイン開発者協会ホールは、初期の金鉱山地区の地域住民、コミュニティの形成を知る上で重要な建物である。

 
1853年2月15日に町の区画が公式に販売された。同時期にキャッスルメイン地区病院、刑務所などがオープン。キャッスルメインは、テントの町からレンガ造りの町へと発展を開始した。郵便局は、1859年に木造に建て替えられ、現在の建物は1875年に建築されたもの。時計台のベルは、現地のHorwood社の鋳物製。


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