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バラライン半島

ポートアーリントン桟橋 Portarlington

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2007年9月10日(月)
ポートアーリントン Portarlington
バラライン半島 Bellarine Peninsula
ビクトリア Victoria
この場所の地図 Google Map

今日の午前中は、多少の雲は出ていたものの良い天気が続いていました。午後からは気温が急に下がり、夕方からは少しだけですが雨が降り出し始めました。
最高気温は、15度。最低は10度を切って、数週間分の気候が逆戻りです。夕方はメルボルンっ子は寒そうに家路を急いでいました。

昨年の今日2006年9月10日(サウスメルボルンのカフェ)

ポートアーリントンは、ジーロンから30kmほど西に行ったバラライン半島の北の端にあります。広域ジーロン市(City of Greater Geeong)に属します。
おだやかな地中海性気候を利用してこの界隈は、バラライン半島特産のオリーブやワインが取れる場所で、内陸部にかけてはなだらかな丘陵が広がっています。海岸地帯では魚介類が有名で、特にムラサキ貝(Mussel)が取れる2月にはMussel Festivalが開かれます。

ポートアーリントン案内 

Mussel Festival

 メルボルンの海であるフィリップ湾を最初に探検したのは、1802年2月の英海軍Lady Nelson号のJohn Murray船長です。10週間後に英国の探検家Matthew Flinders船長がInvestigator号でフィリップ湾に入っています。フィリップ船長はポートアーリントンから6kmほど南東のIntended Headに上陸しています。フリンダース船長は、原住民のアボリジニの部族であるWautharong族と交易をしながらバラライン半島の海岸部の測量を実施しています。

 フリンダース船長は、位置の測定の為に何度もバラライン半島に上陸しており、ポートアーリントンではアボリジニと昼食を共にしたと記録が残ってます。船長、航海士は、航海日誌に詳細に渡り毎日の事実を書き残します。航海日誌に書き残したことは、その後、歴史的真実として理解されます。
フリンダース船長は、メルボルンのフリンダース通りに名前を残しています。
セントポール大聖堂参照。
1803年2月には、NSW植民地測量主任Charles Grims船長は、Cumberland号にてポートアーリントンを調査しています。 バラライン半島に広がるなだらかな丘陵と牧草地に感銘を受けており、当時のNSW植民地のキング総督に報告しています。


  1803年には、英国船から逃げ出した犯罪者William Buckleyがアボリジニの集落に逃げ込んで32年間、住んでいました。この何度かの英国船がフィリップ湾に到達した時期に、従来はこの地域にはなかった天然痘が持ち込まれたと云われています。

尚、Charles Grims船長は、1802年にはキングアイランド(King Island)を探検しています。1803年2月2日には、ヤラ川を発見しています。2月3日には、上陸艇でヤラ川を数マイル上流まで遡って現在のリッチモンドからもっと上流のフェアフィールドの近くにるダイツの滝(Dights Falls)まで到達しています。同年にはメルボルンから南部のフランクストン(Frankston)も探検しています。
ラグーン桟橋参照

 バラライン半島にたくさん見かけるペリカン。
1835年5月29日にはメルボルンの最初の定住者であるタスマニアのジョンバットマン(John Batman)とフィリップ湾事業団(Port Phillip Association)の連中ががレベッカ号(Schooner Rebecca)に乗ってフィリップ湾に入ってきました。バットマンは、Intended Headにベース基地を設営します。

 バットマンもバラライン半島の土地を羊の放牧地として有望であるとのレポートを残しています。フィリップ湾事業団のメンバーであったJohn Hlder Wedgeによって半島の調査が継続されました。Wedgeは、バラライン半島の名前を銘々しています。ウェッジは、ヤラ川の名前も銘々しています。しかし飲料用の淡水が十分に発見できなかったことから、バットマンとウェッジの興味はバラライン半島から薄れて、彼らの興味は十分な飲料水を供給できるヤラ川を持つメルボルンへと向けられました。

 フィリップ事業団(非合法民間団体)の目的は、彼らがタスマニア島で行ったアボリジニを虐殺をしないで、合法的にアボリジニと条約を結び、ビクトリア州の土地2000平方kmをアボリジニから入手しようというものです。もちろんこの条約(バットマンの条約)は、この事態を危ういと感じたNSW植民地リチャードバーク総督に派遣されたウィリアムロンズデール大佐によって破棄されました。豪州の土地は、全て英国ビクトリア女王陛下のものであるからです。ウェッジは後、アボリジニの保護活動を熱心に行っています。

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