2007年9月9日(日)
ベルモント サンデーマーケット
Belmont Sunday Market
ジーロン Geelong
ビクトリア Victoria
この場所の地図 Google Map
今日も朝から晴れ渡りました。2週間近く晴れが続いています。早くも芝生などは被害を受け始めています。また雨が待ち遠しい季節です。気温は、20度ほどでまずまずでした。
昨年の今日2006年9月9日(サウスヤラのカフェバー)
ジーロンは、M1プリンセスフリーウェイ(Prince's Freeway)を経由してメルボルンから南西へ75Kmの地点にある人口16万人のビクトリア州第二の都市です。メルボルンの海をポートフィリップ湾と言いますが、その内部でバラライン半島に囲まれたコリオベイ(Corrio
Bay)に面しています。
グレートオーシャンロードや、ビクトリア州の西部の地域への玄関口でもあります。今年はジーロンのオーストラリアンフットボールチーム キャッツ(Cats)が首位を快走しており町も持ち上がっています。フォード自動車を中心にした自動車産業、、石油精製基地などがあり、産業都市でもあります。
真ん中の女性が来ている横じまがキャッツのチームカラーです。
Geelong Football Club
ジーロンの中心部の外側を取り巻くようにバーウォン川(Barwon River)が流れています。M1フリーウェイでジーロンの中心部を通り過ぎるとジーロンキャッツの本拠地であるKardina
Parkに到着します。その先にバーウォン川が流れています。ベルモントは、バーウォン川の河畔にあります。
Belmont Sunday Market
売っているものは、家庭での不用品や日用品、骨董品など地元の人のマーケットです。
ジーロンや、バラライン半島には、英国人の移民の前は、原住民アボリジニの一部族であるWathaurong族が住んでいました。原住民以外で始めてフィリップ湾に入ったのは、Lady
Nelson号のJohn Murray船長です。シドニーのキング総督の命を受けて豪州南部の探検に出かけて、1802年2月14日にフィリップ湾に入っています。その後、1ヶ月をかけてフィリップ湾全域を調査しています。その間にジーロンにも調査隊を送っています。
Visiting Geelong
ジーロンに定住が始ったのは、メルボルンに遅れること半年後の1836年3月です。1838年のジーロンの人口は、550名ほどです。当時のジーロンの最大の産業は、羊毛です。1841年には英国へ輸出を開始しています。1851年にバララットに始るゴールドラッシュは、メルボルンだけでなくジーロンも大いに湧き上がりました。1851年に8000人であった人口は、1853年には22000人に膨張しています。1857年には、メルボルンージーロン間に鉄道が開通しています。1864年には豪州最強の監獄HM
Prison Geelongが建設されています。
ジーロンは、ビクトリア第二の都市とはいえメルボルンとは比較にならない規模です。その分、グレートオーシャンロードやバラライン半島など自然に恵まれています。産業など雇用にも恵まれておりバランスが取れた住みやすい町です。
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