2007年9月17日(月)
カルディニア パーク Kardinia Park
ジーロンフットボールクラブ Geelong Football Club (GFC)
ジーロン Geelong
ビクトリア Victoria
この場所の地図 Google Map
カルディラパーク Kardina Parkは、オーストラリアン フットボール(オージールール)チーム ジーロン キャッツの本拠地です。ジーロンの市内中心部からは車で5分ほど、メルボルンからは1時間の距離にあります。
昨年の今日2006年9月17日(MSAC総合スポーツセンター)
切符売り場
フランチャイズ制の特徴はそれぞれのチームは地元に密着しているのが元来のありかたですが、メルボルンではすでに地元からかなりファンが離れています。しかしジーロンの場合は違います。地元ジーロンに育った人は全てと云って良いくらいジーロンの熱狂的なファンです。シーズンのゲームの半分は相手方のフランチャイズの都市で開催されますが、ジーロンのゲームは全豪の全ての場所に出かけていって観戦するという熱狂的なファンもいます。ジーロンフットボールクラブ(GFC)は、1859年に設立されました。フッティ発祥のチーム、メルボルンフットボールクラブ(MFC)に続いて2番目に古いチームです。
スタディアムを取り巻く公園。右側に駐車場がありますが、ゲーム開催日にはこの芝生の場所も臨時駐車場になりますので、芝が十分に育っていません。
フッティは、労働者階層の移民の歴史と深く結びついています。1850年代のゴールドラッシュを契機に、ウェールズ、イングランド、スコットランド、アイルランド、ドイツ、フランス、アメリカなど西欧州諸国から移民がジーロン、メルボルンに押し寄せました。彼らは本国で行われていたさまざまなルールのフットボールをビクトリアに持ち込みました。その集大成がオージールールフットボールなのです。若い労働者たちなので、スマートなゲームよりは体力勝負で荒削りなルールが好まれました。
フッティの創設者は、Tom(Thomas) Wentworth Willsです。MFCを設立したWillsはGFCの設立にも貢献しています。1860年から1877年までに、先行2チームに続いてカールトン(Carlton)、セントキルダ(St
Kilda)、アルバートパーク(Albert park)、ノーるメルボルン(North Melbourne)、エッセンドン(Essendon)、イーストメルボルン(East
Melbourne)の8チームが設立され、Victoria Football Association(VFA)が組織されました。当時のGFCのニックネームは、シーガルズ(Seaguls)でしたが、1923年のシーズンに大敗して、ニックネームをキャッツ(Cats)に変えました。幸運をもたらす黒猫なのです。
現在のKardinia Parkにスタディアムが移動したのは1941年のシーズンからです。1942年と43年は第二次世界大戦によりジーロンのチームは距離が離れており参加辞退を余儀なくされています。ジーロンキャッツは、現在のAFL(Australian
Football League)だけでなく、オージールールの歴史の中で数多くのシーズン優勝を遂げています。
メルボルンとジーロンというビクトリアの2大都市の歴史を考える中でも欠かせないキーワードのひとつです。
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