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ジロントップ

ジーロンの漁港と人形アート

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2007年9月15日(土)
ジーロンの漁港と人形アート(追加画像)
ジーロン Geelong
ビクトリア Victoria
この場所の地図 Google Map

今日のメルボルンは雨模様で最高気温18度と寒い一日です。

ジーロンのウォーターフロント地区は、市の中でも一番の観光地区です。散歩する人がいつも絶えません。

昨年の今日2006年9月15日(ホテル デュ-クオブウェリントン)

ジーロン岸壁の西端に漁港とヨットハーバーがあります。遊覧ヘリコプターもあります。
5分の飛行: おとな$40
30分:$150/人 (3人乗車)

ジーロンの多くの歴史的な建築物は、繁栄の時代であった1850年代に建てられています。
しかし1850年代のジーロンの繁栄は1860年代には徐々に衰えます。水深が浅いフィリップ湾の中でもジーロンの海であるCorio Bayは砂地のために水深が浅く大型船が入りにくい欠点がありました。またゴールドラッシュによりバララット、ベンディゴがジーロンよりも発展しました。またメルボルンが繁栄してきてゴールドラッシュの恩恵をジーロンが受けられなくなったことも影響しています。

 豪州の歴史の中で忘れることが出来ない出来事があります。うさぎの悲劇です。ジーロンの西にWinchelseaという町があり、トーマスオースチンという資産家が住んでいました。英国出身のオースチンは、イングランドと同じような貴族の遊びであるウサギ狩りを楽しみたいと思い24匹の数種類のうさぎを英国より輸入して、1859年のクリスマスの日に自分の広大な敷地に放ちました。1年後には、敷地内のどこでもうさぎが見られるようになりオースチンのウサギ狩の望みはかないました。1867年には、年間に14000匹ものウサギ狩を楽しみました。しかしその頃、ビクトリア州の広範囲な地域で急速な勢いでうさぎが増殖していました。1870年には、数百万匹が州全体に広がり、NSW州、南豪州から西豪州まで広がりました。毎年、数百万頭のうさぎが処分されましたが、多くの壊滅的な被害を野作物にもたらしました。

 ジーロン港をめぐる観光船。
1870年代後半に入ると再びジーロンが活性化します。ウールの需要が世界的に高まったことと、ビクトリア州西部地区への鉄道の敷設により羊毛を筆頭にして農産物などがジーロンに集中するようになりました。製紙、靴、衣服、食肉加工などの製造業が盛んになったのです。現在でもジーロンは産業都市の一面が強いのですが、この時代に始まっています。世界で始めて産業用の製氷、冷蔵施設を建設したのは、ジーロンです。産業展示会場(Exibition Building)をメルボルンより1年早い1879年12月に開館しています。それまでの20年間の不況の時代を漸く乗り切ったのです。


 ジーロンの漁港。この先はジーロンヨットハーバー

ジーロンの岸壁には名物の人の形をしたアートがたくさん並んでします。


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