2012年11月28日(木)
ベイウォーク ボラード Baywalk Bollards ジーロンのウォーターフロンの日曜市 ジーロン Geelong ビクトリア Victoria
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ジーロン海岸の名物というよりジーロンの名物とも云うべきものがこのベイウォーク ボラード だ。全部で104体のボラードがジーロンの海岸に並んでいる。
撮影データ Canon EOS 5D MarkU絞り優先優先AE 評価測光 絞り 10.0 1/500秒 ISO感度100 露出補正 -1/3
オート JPG レンズ EF 24-70mm f/2.8L /USM 撮影:板屋雅博 撮影2010年12月28日17:46
ボラードとは杭のことで、ジーロンの港の桟橋に使われていた木製の円錐形の標識のこと。コリオ湾(Corio Bay)の一角であるジーロン海岸のライムバーナーズ・ポイント(Limeburners
Point)からリップルサイド(Rippleside)まで3kmに渡って設置されている。主にヤラ通り(Yarra Street)桟橋に使われていた木柱だったが1980年代に火事で焼け出されたもの。1980年代に桟橋が撤去されることになり、捨てられる運命にあったボラードを芸術作品として蘇らせたのは、メルボルン出身の女性芸術家ジャン・ミッチェル(Jan
Mitchell)である。ミッチェルは、メルボルン郊外のヒールズビルで生まれ育ち、アイルランドへ渡った。アイルランドではグラフィックアーティストとしてアイルランド国営放送局で18年間、勤務。アイルランド最初の幼児向けテレビ番組でデザインを担当し、ボスコという赤毛のキャラクターを作り出している。
ジャン・ミッチェルは、1986年にオーストラリアに帰国後、1990年にジーロンに定住した後に、イラスト、絵画などの芸術活動を展開した。ジーロンでの最初の作品は、学校での芸術作品製作の一環としてバーウォンヘッドで最初のボラード作品造られた。1994年にジーロン市当局にベイウォークボラードのコンセプトを提言した。日本からの旅行者が楽しめるような、ジーロンの住民の歴史を語る彫像を造りたい、と母は思ったのだと息子のコーラン・ミッチェル(
Caolan Mitchell )が語っている。
1999年までに100体を超えるボラードが制作された。ジーロンの歴史上や文化上で著名な人物などをモデルとしている。多士多彩だが、思いつきではなく良く選出されている。
・1800年代の大規模牧場主、
・メルボルン湾を探検したフリンダース船長
・ライフセーバー
・1930年代の水着を来た少女たち。
・AFL フットボーラー
・アボリジニの家族
・トラムの車掌 (ジーロントラムデポ)
・うざぎ (英国から運ばれ、ジーロンで大繁殖したうさぎ)
ジーロンのうさぎの話
その2
ジャン・ミッチェルのボラードは、メルボルン空港やアバロン空港でも展示されている。
ジャン・ミッチェルは、ベイウォークボラードの功績により2000年にオーストラリア勲章を受賞している。ジャン・ミッチェルは、2008年に癌のために68歳でジーロンで亡くなっている。
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