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グランピアンズ Granpians

エミュー Emu

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2011年5月15日(日)
エミュー Emu
グランピアンズ
Granpians National Park
ビクトリア
Victoria
この場所の地図 Google Map
航空写真

エミューは、オーストラリアの国鳥だが、メルボルンなど都市近郊で野生のエミューを見る機会はほとんどない。自然が豊富に残るグランピアンズでは、時折、森や草原でエミューを見ることができる。

撮影データ Canon EOS 5D
絞り優先AE 1/400 評価測光 露出補正 絞りF2.8 ISO感度 100 太陽光 JPG レンズ EF 400mm f/2.8L

イタさんも9年のオーストラリア生活で初めての遭遇。

オーストラリアに生息する鳥類の中では、最も大柄。背の高さは、2mにも達し、世界の鳥類の中で、ダチョーに続いて2番目に高い。オーストラリア全土に住んでいるが、比較的、浅い森や草原を好んでいる。エミューは、俊足を誇り、短時間ではあるが、時速50kmの速度で走ることができる。
昆虫や、植物、種子などを食べるが、数週間も食べずに過ごすことも出来る。細かい石、ガラス片、金属片を食べて、胃の中で消化の為に使う。水は、1ー2日に一度、飲むが、旱魃など事情によっては大量に飲むこともできる。エミューは、水に浮いて泳ぎも得意としている。エミューの睡眠は、林の中で、夜間に短時間の睡眠を断続的に取る。外敵が近づくとダッシュで逃げることが出来る。エミューは、好奇心が強く,、他の動物や人を眺めたりすることを好んでいる。
エミューの同族の鳥類は、ほとんどが絶滅しており、生存能力に長けたエミューだけが生き残っている。
 
エミューの卵は、ダークグリーン(濃緑色)でダチョウの卵と同様の大きさで15cmほどもある。一度に10個から20個の卵を生む。メスは、卵を生むと巣を離れてしまい、卵を温めるのはオスの仕事。

最初にエミューを発見したヨーロッパ人は、オランダ人。イギリス人による移民が始まる前の1696年にウェスタンオーストラリア(当時はニューオランダ)を短期間、訪問した際に発見したとの記述がある。1788年にイギリスの移民が始まったが、移民船団の総督で、初代NSW植民地総督のアーサー・フィリップにより1789年に出版された書籍「ボタニー湾への航海」に「ニューオランダ火食鳥」という名前でエミューの記述がある。

エミューの語源ははっきりしないが、ポルトガルの探検隊が使った言葉で、火食鳥を意味するアラビア語だとする説が有力。もうひとつは、ダチョーや鶴と同種類の大型鳥類を意味するポルトガル語のエマをポルトガルの探検家が使ったことによるという説。アボリジニの言葉では、ビクトリア州のジャジャウルング族の言葉ではバミル、グナイ族では、ミオレ、ジャルドワジャリ族ではコルンと呼ばれる。
 
エミューは、伝統的にオーストラリア原住民のアボリジニの食料とされてきた。初期のヨーロッパからの移民も好んで食料とした。農地を荒らすこともあり、また旱魃の際には、移民の居住地に入り込むこともあったので、害鳥とされた。顕著な例は、1932に起きたエミュー戦争がある。その夏は、かなり暑く、多数のエミューが居住地区に入り込み、追い払っても出ていかず、ついには軍隊が出動してエミューを駆逐したと記録にある。1930年代には、ウェスタンオーストラリアで年間、最大6万羽が殺されている。1860年代には、タスマニアからエミューは絶滅している。タスマニアではアボリジニも西欧人によって絶滅させられているが、野生動物も同様であった。
その後は、農地の拡大や都市化によって徐々に数を減らしていっている。

エミューは、オーストラリアで保護されており、野生のエミューの捕獲は、全州で禁止されている。その肉は、非常においしいので、1890年から食肉用として農家で繁殖されている。アメリカでは大規模に繁殖されており、日本や中国でも小規模に行われている。

エミューは、オーストラリアの国鳥と一般に理解されているが、正式なものではない。ただしオーストラリアの国家紋章(Coat of arms of Australia)カンガルーと共に描かれている。

Coat of arms of Australia(豪州政府web)

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